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08. 04. 28

こんぴら歌舞伎(その4)

さてもさても。いよいよ第一部最後の演目。
歌舞伎十八番のひとつ『暫』

実は、今回の公演でこの『暫』をするのが決まったのは
地元琴平町の町長さんのリクエストらしい。

初日には、海老蔵の父ちゃんの團十郎も見に来てた、って。
そりゃそうですね。元々この『暫』って初代の團十郎が
初演をして、二世がその芸を踏襲して、ずっと成田屋の家の
芸として演じられてきた、っていう、そもそもの歴史的な
経緯もあるし、今の團十郎が1985年(昭和60年)に
十二代の市川團十郎を襲名するときの演目のひとつが
この『暫』だったし。


今の團十郎丈は、なかなか苦労してるんだよ。
今の團十郎のお父さんの十一代の團十郎丈が若死に
してしまってね。だからまだ十分芸の指導を受けることが
できなくて、仕方がないから團十郎丈は、あちこち出稽古
に行って歌舞伎の芸を習得しなくてはならなかった。
で、ホラ、何年か前に、今の團十郎丈も白血病で倒れたでしょ。
その時、自分の親のこと、自分の辛かった経験をまた、、
思い出した、って思うんだ。で、是が非でも息子には
生きて、芸を伝えたい、って思ったと思う。
だから、こんぴら歌舞伎の初日に、この演目を見にきて
團十郎丈がどんなふうに思ったか、っていうこと、
おそらく言葉に出して言えないものが
山のようにあっただろう、って
想像したりした。

さて、『暫』。
英語で言えば「Just a moment」 韓国語で言えば
「ちゃむかんまん」(笑)
あらすじは、って、もうあらすじなんて、ここで
言うほどのものでもないけどね。

鎌倉の鶴岡八幡宮の社頭で、加茂義綱(尾上松也)が
悪人 清原武衡(片岡市蔵)に難癖をつけられて、
今にも斬り殺されようとしたところに、花道から正義の味方、
鎌倉権五郎景政というヒーローが「しばらく、しばらく」と
言いながら現れ出でくる。なので、『暫』
(ほら、あらすじの説明、たったの4行半で済んじゃう。笑)

それが、何がすごいって、この鎌倉権五郎のいでたちですわ。
顔は紅の筋隈。頭は五本の車鬢。さらに頭に烏帽子をいただき、
蝶々のような白い大きな力紙を結んでいる。


この隈取りなんだけど、紅隈って呼ばれてて、荒事の主役に
使われる場合は、善や勇猛さ、若々しさを表わす、ということに
なってる。この『暫』の鎌倉権五郎もそうだし、菅原伝授手習鑑
(すがわらのでんじゅてならいかがみ)の梅王丸、の隈がそう。

その顔で「かああああああ」とすごむだけでもすごいのに
着ているものだって、団十郎の色とされる柿色の素襖。
この素襖のお袖が、お袖が、、横に広げると、さてもさても
4メートル近くはあるかねぇ、、。
それに2mを越える大太刀をさして、
で、花道から出てくるの。「しばらく、しばらく」って言って。
そりゃもう驚愕を通り越して、どう言ったらいいのか、っていうような
いでたちなのでございます。


花道の出入り口、通常はのれんがかかっているんだ。
で、そののれんは金属の環(かん)でつられている。
ちょうどカーテンのようにどちらか一方に開けられる構造。
で、役者さんの出入りの時に、そののれんが
さっ、と開けられるんだけど、その時に
金属の環のシャキーンっていう緊張感のある音が、客席に響いて、
それが、また役者の出入りを知らせる、という役割もしてる。
さて、そののれんがシャッと音がして開けられると、
海老蔵の鎌倉権五郎がいよいよ登場。


もうねぇ、出てきただけで、劇場全体がやんややんやの大歓声。
成田屋の掛け声もバンバンかかっていやがうえにも
ボルテージは上がりっぱなしのアドレナリン出まくり状態。

何たって、あなた、俺のほうだって、目の前30cmのところを
海老蔵が歩いていくんだもの。手を伸ばしたら、タッチできる。(笑)

うちの姉なんかもうねぇ、陶酔しきっておりましたですね。
今、海老蔵と同じ場所で空気を吸っているんだわー、とかなんとか。
だってぱっと見上げたら、そこに海老蔵だもの。
もう単純に口をあけてはぁあ、、と見るしかないようなものだった。


そうして劇場の場内一杯に、海老蔵のちょっと高めの
「しばらく、しばらく」の声が響き渡る。
この声が届く、ってすごく大事だと思う。


俺、市川染五郎があんまり好きじゃないのは、
あの人、声が小屋全体にまで全然届かないんだもん。


あれ、いつだったかなぁ。前に京都の南座で「木下蔭真砂白浪」を
見たんだ。橋之助、扇雀、染五郎っていうのが出てたんだけど
まぁ物の見事、染五郎だけ声が全然出てない。劇場の端まで声が
届かない。これではあかんわ、って思った。


だから、染五郎については、俺的にはいまひとつ、、っていう
ところがあるんだけど。
それに比べたら、今回の海老蔵は
もう会場一杯に響き渡る声量でしたねぇ。
やっぱりマイクを通すんじゃなくて、地声で会場全部に
響き渡るような声を出して欲しい、って思う。


権五郎を見ていたら、もうぽーっとなってしまって。
舞台ではお話はどんどん進んでいって
そうして権五郎は、悪人をばったばったと切り捨てて、
再び、花道を戻っていくのでありましたが、、。

それでね、俺たちの座ってる、前のところで、
とどまって、もう一度長袴の足をさっと持ち上げたの。
その拍子に、袴のすそがばさっと客席にかかって、
その袴のすそがバサッと俺と姉ちゃんの上に降りかかってきたから
もう「きゃーきゃーわーわー!!!」 さすが荒事。(笑)

普通、そんなことがあったら、何すんねん、っていうようなものですが。
もう、すごいすごい! で。 
何たって周囲のお客さんがこちらを見て「よかったねぇ。」

ってニコニコしながら拍手をしてくれたくらいでさー。(笑)
もう姉なんか夢うつつでございました。「幸せ!」だって。

こういうことだって、いくら花道に近いから、って他の劇場では
ない、ことだと思う。ね。だから役者さんとの距離が近い(笑)
っていうの。


さてもさても、海老蔵が引っ込んで、公演は終了。
「よかったねー。最後の最後で、、おまけまであって!!」
なんていい交わしながら、よっこらしょ、と立ち上がった。

さぁ、陰間茶屋へGO! と言うわけにもいかず。(こらこら)
親戚のおばちゃんが、ちょっと用事がある、と
おっしゃるので、陰間、どころか楽しみにしていた
資生堂のパーラー神椿にさえ行くことはかなわず、
再び、車の置いてある駐車場に戻ることになったのでした。

ちなみにうちの姉なんか、さらに23日の千秋楽の日も
もう一度見に行ったのさ。
こちとら仕事でうんうん言っていたのにぃぃぃ。
千秋楽のチケットは、姉の友達が「一緒に行きましょう。」
って言ってくれてチケットの手配をしてくれたらしい。
さらにおまけがあった、って。もう聞いて
許せないぃぃぃぃと、言っちゃったんだけど。

その姉の友達というのが、日本舞踊を
習っていて、そのお師匠さんが、成田屋さんに結構ものが
言える方なのだとか。 それでさ、そのときも、
花道の通り沿いではあったのだけど、
ちょうど後ろ側で、海老蔵の後側しか見えない席だった
らしいんだ。だけど、その踊りの先生が海老蔵に「坊、
いつもは後ろ側で見えない、のだけど、後ろ側にも
熱心なお客さんが見にきているので、そっちも向いて
あげてください。」と話してくれたらしくて、
『暫』で、鎌倉権五郎が引っ込む花道で、いつもは
向かない方向に、(うちの姉たちの座っていた方向)
その日だけ向いて、きっ、と、見得を切って
くれたんだそうな。
後からお茶子さんたちが、いつもは向かないほうに向いて、、、
彼女でも来てるんやろうか、とうわさをしあったとか。

最初にも書いたけど、『暫』っていう演目は、成田屋の芸なので、今の
團十郎丈も、形にこだわっていて、ひとつひとつの
所作は決してゆるがせにさせないの。
この方向に、こう、手を出す、この方向に足を、踏み出す、
というのは、もう絶対で、それ以外の仕方、っていうのは
絶対に認めない、っていうことになってるらしい。


けど、あえてそれを破ってまで、海老蔵がやってくれた、
っていうので、、もう電話をしたら、大騒ぎしておりました。


その後で、姉と友達は二人して、琴平○○○○ホテルに
寄ってお茶を飲んだらしいのだけど、。
そうしたら、喫茶室の向こう側に海老蔵のおっかさん
(團十郎夫人)がいた、って。楽日だったから團十郎夫人として
処々方々にご挨拶しなくちゃ、っていうこともあっただろうし、
息子が気になって、っていうこともあったかも。
いやぁ。初日はおとっつあんで、楽日はおっかさんで、、
気をもませるご令息さまで、周囲の方々もなかなか
大変のようででございます。

しかしうちの姉ときたら、海老蔵のおっかさんまで
見た見た、だって、、。はいはい。(笑)

その話に1時間半付き合わされたわけですよ。
やれやれ、でございました。


海老蔵さんもこれで座頭の大任を無事つとめあげたことですし、
これで毎日の夜遊びに邁進できるというものですね。

だってさー。何年か前、まだ彼が新之助って言ってた時分に

来たときかな。
そのときは、琴平の町の北のほうにある○参○に泊まってね。
その旅館にはさ、勘三郎の間、というお部屋があるんだけど、
その部屋にしんちゃんも一緒に泊まることになった、んだって。

ところがしんちゃんったらさ、まぁ連日連夜、とっかえひっかえ女の子を
自分の泊まってる勘三郎の間に連れて帰ってきて
酒池肉林ごっこして遊びまくったものだからさー(笑)
とうとう勘三郎丈が切れてしまって、しんのすけにご意見
したんだそうな。「ここは、そんなことをしにくる場所か! 」って。
そうして、それはそれはたんとしかられたらしいのだけど、
そんなふうなご指導を受けたにもかかわらず、
おととしだって、毎日毎晩、とっかえひっかえ、、、まぁねぇ、、。(笑)

で、ふっと思ったのは、獅童と離婚した、たけうちさんのことですよ。
結婚していようが、していまいが、連日連夜、女の子をとっかえひっかえ、って、、
あっちふらふらこっちふらふらなんていうのは、
歌舞伎役者としては別に変わったことでも
ないだろうに、って思う。だって歌舞伎役者ってそういうものだし、、。

たけうちさん、もしかしたら歌舞伎の役者って、そういうのが普通よ、って
知らなかったんだろうか? おそらくは知らなかったんでしょうねぇ。

そのことを俺が大学院のとき近世演劇研究で歌舞伎を習った指導教官と
前に少し話したんだけど、やっぱり、普通の家庭の女の子だと、そういうこと
って分からないんじゃないか、ってねぇ。
「歌舞伎役者の下半身は別人格」って、

俺なんかは言ってるんですけど。(笑)

歌舞伎の役者さん、って実にそういうものだと思います。
歌舞伎役者の奥さん、っていうのはさ、
旦那のそういう性癖を知ってて、なおかつ、超越してのほほんとしていて
でも締めるところは締める、求められれば、
しかるべきところに出てはあいさつをこなし、しかも隠れて細かい
気配りをさっとする、なんていうことが、できないと、ちょっと無理でしょう。 

だから、たけうちさんは、あまりに普通の家の女の子だった、と
いうことでしょうね。あの人は、最初から歌舞伎役者の奥さん、
には向かない人だった、って思います。 じゃあそういう線で、ヨネクラ某さんは
気働きができるのか、って言えば、ねぇ、、。

女の人でも、生活感がなくて、たまに遊ぶのにはいいタイプの人と、
自分の「ある部分」をすっかり任せられるタイプの女の人とがいる。それで
ヨネクラさんは、どちらのタイプか、って言ったら、どう考えたって、
生活感を消して、たまに遊ぶにはいいタイプでしょう。
そんなの、歌舞伎役者の奥さんは無理って自然に答えが出てきそうな

ものだろうに。

だから、昔の名人名優って呼ばれた人は、しろうとさんの女の人には
手を出さなかった、っていうことなんでしょう? 
ホントそんな話なんてこの歌舞伎の世界じゃ山ほど
あって、今回出てた男女蔵のお父さんの左團次だって、
確かに先代の左團次が認知はしたようだけど、実のところ、
左團次の本当のお父さんは誰なのか、わかんない、
ということらしいですもん。


だけど、まぁ、獅童が、だれかれとなく手を出すから、
離婚騒動になっちゃったんだろうけど。
だから、彼なんかたけうちさんと別れても
全然懲りてないでしょ。今日は○○さん、明日は××さん。
そうやって考えますと、さて、成田屋のぼんは、将来どなたを
伴侶につけますか、ねぇ。

はてさて。

長々と語ってまいりました、讃州はこんぴらさんの
歌舞伎見物の条々、これにて幕といたします。

来年のことを言うと鬼が笑うのだけど、
来年の座頭は勘三郎丈なんだってさ。

このこんぴら歌舞伎は、そもそも勘三郎丈が、
金比羅大芝居の建物を見て、
「ここでやりたい。」 って言い出したのがはじめで
今の歌舞伎公演がはじまったのだから、
勘三郎丈にとってみれば、本望じゃないか、と思う。


謙介のまとまりのないお話に、最後の最後まで、
お付き合いくださりまして、まことにまことにありがたく、
御礼申し上げます。


まぁ伝統芸能って、敷居が高いとか、なかなか見にいけないとか
あるんだけど、何度も言ったように、見てたら、分かるよ。
分からなくても、装束が、派手でいい、とかあの役者さん
なかなか、っていう人がいたらその人を見るとかしていけば、
いいんじゃないかな。って俺は思う。
まぁ経験でさ、一度見ておくのも、悪くない、って俺は思うけど。

         ×          ×

(以下5月2日補記)


それから、先日、歌舞伎役者さんの出自について
ご意見を寄せてくださったことに関連して少し
補足で説明をしたいと思います。
それはどういうふうに謙介が調べて、どういうふうに書いて
いるか、ということとも関連するのですが。

最近ではちょっとしたことは、グーグルとかヤフーで
キーワードを入れたら、大抵の情報を得ることはできます。
歌舞伎役者さんでも、その方の名前に、「出自」とか
「出身」という言葉を組み合わせて検索すれば、
たちどころにいろいろなことは分かります。ですから、
役者さんのそれぞれの出生の経緯については
そういうことなんだ、という点、
謙介はおっしゃるようなことは、もちろん承知いたしておりました。

家名を絶やさないようにするために、養子をもらう
というようなことは、結構多くあることです。
実はうちの家も、ずいぶん前に、亡くなった母方の祖母の
除籍謄本を取り寄せて調べたら、そういうことを過去に
やっていた事実が分かったこともありました。

その歌舞伎役者さんの出自を見て、謙介が思ったのは
四国地方のある都市の市長さんと同じだ、ということでした。
その市長さんのお父さんに男子がいなくて、跡継ぎを作る
ために、、ということで今の市長さんを、養子にもらって
跡継ぎにした、ということはその街のある一定以上の
年齢の市民だったら、大抵の人は
知っています。
けれども口さがない人たちははっきり言うのです。
「本当の子じゃないくせに。養子のくせに。」って。

俺も何人ものその街の人がそういうのを実際にこの耳で
聞いたことがあります。
正式に法律にのっとった形であってもやはり
そういうことがあるのです。
そういうことがたぶんに影響しているからでしょう。
その市長さんの出自について、公的な場所では、
養子ということは「ないこと」なのです。
どこから養子にしたか分からない。
それは書けない。
それが合法的であって全然問題がなくても、
大抵の市民は知っていても、それは誰の元に生まれた子で
どういう経緯で養子にもらったのか、ということは
「知らない」「存在しない。」ということです。

俺のブログでは何度も書いたことですが、
文学の研究、歌舞伎の研究でもそうですが、現在生きている
人は扱いません。扱ってはいけません。
「演劇界」の劇評の投書まではできたとしても、学術論文で
たとえば現在の片岡仁左衛門丈の芸について論じる、ということは
ありえません。
国文学の研究者は、村上春樹や大江健三郎の文学の研究論文は
書きません。
生きている人は、評価が定まっていないし
これからどう変化するかわからないからです。
ですから、生きている役者さんの出自について
そういうことだ、とうわさとしては存在する段階ではあっても、
話は音声ですから後に残りませんが、書いてブログに出すと
刻まれた文章として残ります。

謙介は歌舞伎の文章を書くにあたって、
まずネットで調べて、それから仕事場にある
演劇・伝統芸能関係の書籍・資料を全部あたりました。
なかには赤裸々にそういう出自を書いたものも
ありましたが大抵は、そういう事実には触れて
おりませんでした。歌舞伎の役者の世界では
そういう大名跡を継がせる、というために
他所から養子にもらうということは頻繁にありますよね。
だけど、そうした出自は触れておりません。
では合法的にも拘わらず、なぜ、記述がないのか。
やはりそういう経緯を書くのは後々文字として残るから
できない、と判断したから、だと思います。
で、これは、わざと分からない、で通したほうがいいか、と思いました。

そういうふうにネットと本に当たって調べたわけです。
事実であった、としても周囲を慮って書けないことがあります。
書かないこともあります。

謙介は調べたことを100パーセント
使っているのではありません。
実際調べたことのうちで書くときに使うのは3割程度の
資料です。
後の70パーセントは、確かに調べて分かりはしましたが、
文章を書くについて使いはしませんでした。そうやって、 
一応そこまで調べた上で、
俺はあの文章を書いたというわけです。


ただあのご意見をいただいて俺は結構
うれしかったんですよ。

歳が少しずついってくると、率直な意見を
なかなか言ってくださる方がいない、ということも
ありますし、ご贔屓の方にご意見をいただいた
というのは、曲がりなりにも、(笑) こいつ、全然
分かってないじゃないか、って思ってくださった
から、書いてくださったわけですよね。

人間不思議なもので、箸にも棒にもかからない、って
思われたら、そんなもの相手になんかされませんもの。
ご意見を寄せてくださったのは、まだ多少なりとも
脈があったからなのでしょう。


謙介はそういうところまで調べて、で、あの文章を
書いた、というわけです。
ですから問題としてあったのは、謙介の思慮の足りない
書き方だと思います。これは深く反省しています。
文章の品もいまひとつ、でしたし。
改めて、神経の行き届いた文章を書くように
しなければ、と思った次第です。

(以上5月2日・5月4日補記)

×        ×        ×

今日は職場で午前中、定期の健康診断。
午後は仕事をして、終わってから
その後、月曜なので、仕事帰りがんセンターに行く。
内科外来に、6時前に行ったのに、一体この人は?
まだ10人くらい待っていて、ちょっとびっくり。
やっぱり連休を挟んでいるので、患者さんの数が
多い、ということなのだろうか。
1時間待ちだった。前回の検査結果を見ながら主治医と面談。
数値は相変わらずあまりよくないのだけど、もうちょっと経過を
見ましょうか、とのこと。ただ、来月に入ったら、
一度、超音波で検査をしましょうね、とのこと。

最後に連休中、もし病状が急変したら、、ということの
打ち合わせを。主治医かサブのお医者さんのどちらかが
病院にはいるので、どちらかに話したらいいですよ。
ただし、内科外来は休診なので、病棟のほうに直接
来てください、という話。
連休中、静かに過ごします、と言っておく。
連休ですからね。どこに行っても人ばっかりでしょうし。
と主治医。


その後、中央処置室へ。いつものように採血をして帰る。
今日は7本。

(今日聴いた音楽 ボロディン作曲 だったん人の踊り
 歌劇「イーゴリ公」より  ウラディミール・アシュケナージ指揮
 フィルハーモニア管弦楽団 演奏 録音年不明
 「タルタルソース」の「タルタル」が、「ターター」になって、「だったん」
 になったのですね、と言ったら、「そうだったんですか。」
 とベタな答えをされてしまいました。笑 だったんは、今のトルコ
 ですね。 え? トルコ、あら、そうだった、もうやめましょうね。)

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Comments

当代の団十郎は独特の発声で好き嫌いが分か
れるところですが、海老蔵はお父さんほど癖
がなくて良い声ですよね。大河ドラマ・武蔵
では鍛えられた肉体が話題になりましたが、
舞台役者にとって体は大切な楽器ですし、声
が良く通るのも体を見れば納得です。
成田屋ににらまれると、息災長寿のご利益が
あるとか。お体、穏やかになられることを
お祈りしております。

Posted by: mishima | 08. 04. 29 at 오후 11:03

『左團次だって、確かに先代の左團次が認知はしたようだけど、実のところ左團次の本当のお父さんは誰なのかわかんないということらしいですもん。』
・・・大学院まで勉学なさったようでございますのでご理解いただけると思い是非訂正させてくださいませ。三代目左團次には男子がなく当時のご贔屓が京都花街の妓との間に出来た男子を養子にし当時の法律では可能であった実子として入籍した事は歌舞伎フアンなら誰でも知っている事実でございます。

Posted by: 左團次フアン | 08. 04. 30 at 오후 12:47

----mishimaさん
 今回は近くの町営のスポーツセンター、(これがまた、町営とかいいながらものすごくいいんです。)に毎朝通ってトレーニングも毎日していた、と聞いています。身体作りもきちんとされていたようですね。なかなかよく通る声で、聞いていて、よかったと思います。成田屋のぼんににらんでいただけたので、もうちょっと体調もよくなって、くれるだろうと、期待しております。

Posted by: 謙介 | 08. 04. 30 at 오후 7:03

---左團次のご贔屓の方へ
 ご指摘ありがとう存じました。粗忽物で、もう少し徹底して調査したらよろしゅうございましたですね。院で行う研究は、やはり学問研究の府なので、歌舞伎の歴史的な実証研究が中心で、役者の月旦ということにつきましては、蚊帳の外におかれてしまいます。ご指摘いただきました点をよき教訓にして、今後は今まで以上に責任を持って調査してそれを反映させたものにいたしたいと存じます。ご指摘誠にありがとう存じました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

Posted by: 謙介 | 08. 04. 30 at 오후 7:10

叔母が心臓の手術をしまして…母が心配して今度東京に会いに行くんです。私が◯五◯が復帰するからチケット取ろうか?母「上手いと思わない…あの年代なら一番上手いと思うのは猿之助だ!」私「こんぴら誘ったら最初はその気だったのに辞めたじゃない?」母「自分の贔屓役者と上手いと思う役者は別!猿之助は亀治郎だった20代の頃国立劇場で見たけど、若いのに凄く上手で驚いた!」こんぴらは席が狭いとか、並ぶとかそういうので面倒臭いと思ったんでしょう。猿之助さんは子役の頃から天才?!と言われていたみたいですしね。母は海老蔵は声も顔も姿も良いし、成田屋だからもっと頑張ってくれるともっと良いのに…
あくまでも物心つく前から歌舞伎座に通っていたとはいえ個人的感想です。私は最近歌舞伎にはまったばかりですが海老蔵さんは本当に舞台映えしますよね、格好いい。
何れ團十郎に、菊之助さんは菊五郎に、染五郎さんは幸四郎に、勘九郎さんは大変だと思いますが、七之助さんもいますから…私は猿之助さんを応援してます!
高いですがこんぴらも行きたい…でも抽選なんですよ。
日程が決まっているので都合がつかない方もいるのではないかと思います。チケット確保が大変なのはな理解出来るんですが第二、第三希望ぐらいまでとか、日数・人数限定でチケット確保して頂きたかったな…明日から申込受付なんですけどどうなることやら。

Posted by: ゆき | 13. 01. 31 at 오후 11:37

---ゆきさん
前の時の亀治郎さんの公演もすごかったです。もうね劇場全部を走り回るんですよ。花道から席と席を仕切る渡し板をつつーっと歩いたかと思うと、なんとうちの升席に来て、オフクロのコートを貸してね、って、がばっとかぶって隠れてみたり、、こんぴらは歌舞伎役者が身近にみられるったって、50センチ隣にいるわけです。あれには驚愕しました。(笑)海老蔵の暫、最後のにらみが、やはりお家芸、ですね。天下一品の睨みです。今の團十郎丈は先代を早くになくしてしまい、芸の稽古で非常に困ったので、海老蔵にはできるだけのことをして伝えたいはずですが、、息子、大丈夫かなぁ、と思います。まぁ年とともにおちついて収斂されておさまっていくのでは、と思いたいのですが。
 こんぴら、本当にご苦労がおありですね。どうぞ席がうまく取れますようにお祈りしています。

Posted by: 謙介 | 13. 02. 01 at 오후 7:46

先代は結核を患っていたんですよね…他にも色々
團十郎さんはお父様が亡くなられて、今まで愛想良くしてくれていた方もお父様ないあと態度が豹変したり…お母様も亡くなられて本当にご苦労されてますよね。故にとってもお優しい方だとはお聞きしますが体調が心配です。オセローも見たかったんですけど…
某俳優さんは海老蔵さんは人を怒らせる天才だ!将来の團十郎が卑屈でも困ると思いますけど…歌舞伎が分からない方には理解しずらいかしれません。

Posted by: ゆき | 13. 02. 01 at 오후 9:20

---ゆきさん
その辺が難しいですね。 相手によって不遜に取られるかもしれないし、自信があっての態度ととられるかもしれませんし、、役者さんによっては、そういう対人面、天衣無縫でありながら、魅力のある人と、単に気難しいだけの人になるのでしょうが、、その辺がこれからの成田屋の若ぼんの成長如何だろうと思いますが、、果たしてどっちに転びますやら。

Posted by: 謙介 | 13. 02. 02 at 오후 5:06

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