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08. 03. 06

畏れる

昨日の朝、出勤しようと思って、車のところに来たら、
フロントガラスの表面が氷でがちがちになっていた。
その前の晩、夜中に雨が降って、そのままそれが
凍ったのだろう。
急いでとってかえして部屋に戻り、ストーブの上のやかんを
手に車のところへ。フロントガラスにお湯をかけて、氷を溶かして
やかんをまた戻しに部屋まで戻って、、。
ちょっと遅れたけど、、と車を動かしはじめた。
いつものように広い道に出たときに、
路面を見て驚いた。 道がきらきらしているのだ。

道も前の晩に降った雨が、乾かないまま
そのまま凍ってしまったらしい。
道が凍ってるよ、と思い、速度を落としてゆっくり目に
走った。まだ朝が早いので、(6時50分ごろ)
そうたくさんの車が走っているでもない。


実は謙介の住んでいるあたりでも、雪は降る。
それで一時的に積もったりもする。特に今年は
3回も雪が積もって高速道路が不通になった。
一般にこの辺なんて南国、と思われていたりも
するのだけど、結構そんなこんなで雪だって積もれば、
道路の凍結だってある。 なので、俺はいつも冬になると
車にはスタッドレスのタイヤにしている。
なので、凍結路面でも、とか運転ができたわけ。

仕事場に行くには、山を二つ越えて行かなければならないのだけど
その一つ目の上り坂に差し掛かる。
ここは日陰だし、山の中なので、さっきの家の近所より
もっと激しく道が凍っていた。恐いなぁ、と思わず
思ったけど、そのうちもっと恐いことに遭遇した。
山から下りてくる対向車が、どれもこれも
スピードを落として走ってこないのだ。いつもどおりの
70キロくらいの速度で、凍った路面の坂をびゅんびゅんと
下ってくる。


ええええ、 これだけ激しく道が凍っているのに
ど、どうして速度をもっと考えて走らないの?
俺は、ものすごくびっくりした、というか恐怖を感じたのだけど
対向車線の車を運転している
人たちは、そんなことなんて全くお構いなし、というありさまで
どの車もどんどん速度を上げて下りてきた。


しばらく走ると、左側がみかん畑になっているところが
あるのだけど、その畑の中に青いトラックが飛び込んでいるのが
目に入った。
たぶん凍っている道をいつものように速度を出して
走ったりしたものだからハンドルを取られて、
畑に落ち込んだのだと思う。
車高の高いトラックは特にすべりやすいんだけど、、。
運転手と同乗の人が憮然とした顔つきでそばに
立っていたのが見えた。

そうしている間も、道は、少しずつ標高を上げていく。そして一つ目の山の
頂上まで来た。やはり凍り方が激しい気がする。向こうから
パトカーが来た。
どうしたんだろう。こんな時間に、と思いながら
パトカーをやりすごしてさらに行く。
道は今度は下り坂になる。やはり道は凍っている。
こわい。今度は俺の後ろにフィットが来た。スピードを出して早く
行きたそうだったので、道を譲って先に行かせる。
フィットはすごいスピードでがちがちに凍った道路を
下りていく。
坂を下りて、一番下まで来た。フィットは陰も形もない。
これから再び上り坂。

坂をあがりきったところで、さっきのフィットが止まっているのが見えた。
見ると、その前には何台もの車が止まっている。よく見ると
ずっと先にパトカーが止まっている。ワンボックスカーが二台
道路をふさぐように止まっている。片方の車の前はめちゃくちゃ
片方は右前が大破していた。
たぶん凍った道路をいつもどおりのスピードを上げて走っていて
凍結道路を車が横滑りでもして対向車線に出て、衝突したんじゃ
ないか、と見て取れた。

結局俺は、そこでUターンして、山のふもとにもう一度下り、
別のルートを通って仕事場に行った。 いつもなら35分
くらいで仕事場に着くのに、その日はそんなふうに
もういちど元に戻って、、っていうことがあったので
結局到着までに1時間少々かかってしまった。


しかし、どうしてこれだけ凍結している道路なのに
速度を落として走らないんだろう?
仕事場に行ってそんな話になった。
凍った道路を走ったら、どういうふうな事故が起きるのか
知らないで走ってるんと違う? と同僚はそう言った。
まぁ知らないから、平気でスピードを上げて走ったり
できるのだろうけど、、。
たぶん俺は思うのだけど、自然の恐さっていうのが
分かっていないんだろうな、っていう話をした。


それが分かるのが俺が毎週往復している高速道路なんだ。
俺が仕事場の街から実家に帰る途中の県境付近って
すごい突風が吹くことがある。

ものすごい風が吹いて、いつだったか
その風のせいでコンクリート製の電柱が何本も折れた、
っていうこともあった。家の屋根だって吹き飛ばされたり
家が何軒も壊されたりした。
それくらい威力の風が吹く
ことがある。だから、高速道路で、強風による
速度制限、っていうのが出たら俺は、素直に
それに従う。 70キロ規制、って言われたら
速度を70に落として走る。
だけど、そういう注意を律儀に守って走る車って、
少ないんだ。 もうね、大風が吹こうが突風が
吹いていようが、みんな時速13キロくらいで
走ってるもん。俺の車はワゴン車だから、車高は
高くないんだけど、車高の高いワンボックスタイプの
車が、130とか140も、っていうような速度で
強風の中、走っているのは恐い。
やめてくれ、って真剣に思う。
俺まで巻き添えは食いたくない。


でもさぁ、運転してる本人はちっとも恐くなんか
ないんだろうね。車高が高い車が、強い横からの
風になんかあおられたら、簡単に横転してしまうのに。


それともうひとつ。
運転している人の頭の中には「強風」とか
「道路凍結」っていう「目の前の天候の状態」
っていうのは、全然考えもしていないんじゃないかな。
もっと言ったら、そんな自然がどれくらい恐いか
っていうのもまったく意識の外なんだろう。
だから「いつものようにいつものスピードで車を走らせていた」ら、
凍結した路面で車が滑ってほかの車と衝突したり、田んぼに落ち込む
ことになったのだろう。


いまどきわざわざ趣味アウトドア、なんていう人でも
ないと、そういう自然の細かい変化とか、状況を観察
したりすることがなくなってしまったんだろうか。


自然からすっかり縁遠くなってしまって、その結果
自然の状況が分からない、っていうことになって
分からないから、全然思慮の中に入れない。で、
まぁ分からないでいたからそれへの備えが全くなくて、
突然こういうことになった、っていうことなんだろう。

やっぱり風の動きとか、水の流れとか、そういう自然の動きを注意して
見たり、感じたりすることが少なくなったんだろうね。
いろんなところにダムとか、コンクリートの防波堤を
作ったりして、人間がそういう自然をコントロール
できるんじゃないか、なんて傲慢なことを考えたり
している、っていうこともあるかもしれない。


だから、そういう人って、自然を全然畏れないものね。畏れるどころか、
そういう天候変化のために交通機関が止まったりしたら
逆に切れて怒ったりする人さえいるし。 自分の予定が
天候のせいで急に変更させられてしまった、
一体どうしてくれるんだ、とかって。


でもね、田舎で毎日空ばかり見て暮らしているような
謙介さんから言わせてもらうと、どうしても、仕事の関係で、
っていうよんどころない事情ならともかく、台風とか天候が
激変するなんていうのはさ、天気予報で、次の日はどうなる、とか
ある程度の予測がつくわけでしょ?

だったら、どうしてそういうの注意して、日程を変更するとか
行程を変えるとか、そういう対策をどうして
事前にしておかないんだろう? 
そんなもの大丈夫大丈夫
なんていうふうに思ってるのだろうか。

自然は恐いもの、なんていうふうには
全然思ってなくてさ。自分の予定を狂わせた
ひどく憎らしいもの、っていう捉え方に
なってるんだろうね。

あの阪神淡路の大地震のことも、こないだの富山の
高潮のこともそうだけど、人間って、自分自身が災害に
遭わなかったら、自分には関係ない、なんて平気で思って
いられるところもあってさ。どこかで他人事、なんて
思ってたりする。


だけど自然って、確かにあるときにはやさしいけれども、またあるときは
平気で牙をむいてくるわけで。そういうときのために自分は、この自然と
どうやって生きていくのか、っていうことは、やっぱりもうちょっと
しっかりと考えておかないといけないようには思うんだけどね。


昔の人は、暮らしのいろいろな中でもっと自然との結びつきが
強かったから、そういう自然の移り変わりに敏感だったし
敏感でないと、日々の生活だって営むことはできなかったんだけど、、。

最近はすっかり鈍感、っていうのか、全くの無関心、
っていうことになっちゃったんだろう。
凍結した道路をすごい速度で行きかう車を見て、そんな
ことを昨日は思ったりした。

    ×      ×      ×


先日作っていた目録、校正原稿を先週の木曜の夕方
印刷会社に持っていって、今朝できあがった。
3時半に来られたご本人に目録を渡した。
仕事その2が完了。
4日に今月末に出る報告・論文集の校正原稿も
別の印刷会社に無事渡したので、仕事その1もだいたい
目処がついた。明日と月曜の朝で残りの仕事のまとめをして
月曜の午後、病院に入る、ということになりそう。


もうひとつ仕事場で。
「っす、が敬語だと思っていた」という人がいたという話になる。
それがニュースになって、「あいつは天然だ。」とかいうふうに
批判されるということは、まだ「っす、なんか敬語であるはずがない。」と、
はっきり認識している側の数のほうが圧倒的に多い、
ということだよね、安心したわ、と言ったら、横にいた人が。
「え? 」だって。思わずお顔を見てしまいました。(笑)

ただ、あれは「です。」の「で」が欠落して、
「まじめなはなしですか?」→「まじめな話ですか?」
「まじすか?」となって、「まじっすか」というふうに変化した、と。

そういうふうに音便化したもの、と
考えていたら、最近は「おはようっす」という言い方を
する人もいるから、その場合は「おはようございます」の
「ございま」が短縮されて消えた、ということになるよね。
という話をした。最近時々見るもの。「よろしくです」とか
「おはようです」って言ってたり書いてたりする人。

ブログのマナァというものがあるとかで、読む人のことを
おもんばかって、記事は短めに書くのがよい、とのこと
らしい。 


ふふふ。今日も長かったですねー
長い文章でいつもいつもすまないっす。
(やれやれ。ちっとも反省なんかしていなくて、、。
まったく何とかにつける薬は、ないようなことでございます。)
ちゃんちゃん。

(今日聴いた音楽 You'd be so nice to come home to 歌 松原みき
 この曲もジャズの中では好きな曲)

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Comments

>ふふふ。今日も長かったですねー
長い文章でいつもいつもすまないっす。

いいのよ、いいのよ、ありのままで。

ブログのマナぁ、ということではないと思うけど、
今どんどん進化していってるブログは、
文章を掲載する場所ではなくなってきてる、
ということなのかも知れないなーって思う。
酷いブログなんて、文章は何もなくて、
広告ばっかりってこともあるよね。

別口でやってる方のブログは、謙介氏ほどは
長さはないと思うけど、そこそこはあるんだよね。
ある人から、長過ぎてイライラする、みたいな
注意を受けて、そんなこと言われる筋合いは
無いぞ!と思う反面、
確かに、一般的にブログを好んで読むタイプの
読み手にしたら、しんどいわなー、と、
若干、反省もしたんだよね。

でも、自分が読み手になったときは、
読みでのある、大人のことばの詰まった文章が
好きなので、謙介氏のブログ、大好きです。


Posted by: | 08. 03. 06 at 오후 10:30

----Jean de Tokioさん

前に友達が、謙介の文章が長いから
このサイトに来る人を自動的に選別
することになってる、という話をして
くれました。連日のそんな長い文章を
何とも思わずに読んでくださる方が
いらっしゃる一方で、はじめて来て
この延々と続く文章を見て、
「何だこれは。」 って思って、二度と
来ない、という方と。まぁこの長い文章が
このブログの判断の分かれ目だね、
って言われて、そうかそうか、と思わず
納得してしまいました。(笑)
つい、あれもこれもと書く、ホントに
典型的にあかん文章の見本みたいなもの
ですが、こうやって気持ちをこめて
くださった言葉をいただけること、それから
Jean de Tokioさんだけでなくて、
言葉は残さないにしろ、謙介は生きてるのか、と
思って見に来てくださる方々。
そんな励ましがあって、何とか前に
進むことができています。
いつも本当にありがとう。感謝の気持ちで
いっぱいです。

Posted by: 謙介 | 08. 03. 07 at 오전 12:12

いや、案外、励まされてるのは
こちらのほうだったり、するのですよ。

Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 07 at 오전 12:24

 「畏れる」という言葉,今では死語ですね・・・。
 いつから傲慢になったのかしらん。やっぱり高度経済成長,それともバブル?

 系外惑星丸ごと環境再開発できるだけのテクノロジーを手に入れるまでは(いつの話だ),人間,か弱い存在だと思い知らないと。

Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 03. 07 at 오전 11:35

----Jean de Tokio さん
ブログで言葉をかけてくださっているのが、しんどいときにものすごく助けられるんですよ。いつもどうもありがとうございます。

Posted by: 謙介 | 08. 03. 07 at 오후 6:56

----Ikuno Hiroshiさん
 そうですね。高度経済成長でじわじわときて、バブルで一気にそういうことが忘れ去られた、という気がします。そういう意味でも80年代の終わりから、90年代のはじめって、自然に対する価値観まですっかり変わってしまったんでしょうね。でも嘆いてばかりもいられないので、オッサンは(笑)時々そういうことも周囲の人と一緒に考えていきたい、と思っています。

Posted by: 謙介 | 08. 03. 07 at 오후 6:59

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