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08. 03. 04

自己主張する団子

普通、だんごというものは、かわいらしい、
もののような気がする。
だんごの上に「お」をつけておだんごなどとも言うし。

少し前、だんごの兄弟の歌さえあったくらいで
擬人化さえできる、ということは、とても親しまれた
身近な存在、というイメージではないだろうか。
大抵のスーパーの和菓子のコーナーに行けば
あんこの団子とかあるし。
東京では新宿の追分団子に言問団子
京都では下鴨神社横のみたらしだんご。
嗚呼食べたい。

こほん。

さて。
団子を食べたい、という人がいて、
ちょっと変わったのがいい、と
のたまわれるので、
謙介が仕事帰り、例によっておソープ街を突っ切って
団子を買ってきた。
それが、この写真。

Dango1

銘菓「坊ちゃん団子」
ここで言う「坊ちゃん」とは、言うまでもなく、夏目の金ちゃんの小説の
あの「坊ちゃん」。
確かに漱石は道後の温泉に来て団子を食べてはいるらしい。
その団子屋、遊郭街の入り口にあった。
だから「坊ちゃん」の中に「遊郭の団子うまいうまい」と
生徒たちに黒板に書かれることになった。

しかし、あのころは、上の写真にあるようなカラフルな
三色の団子ではなくて、茶色と白の二色の地味目の
色合いの団子だったとのこと。名前もまだ坊ちゃんという
小説が出来る前であったから、道後の湯で「ゆざらしだんご」
というようなものだった、ということだ。

それが茶色と白の二色では地味すぎ、なんていうようなことで
もうちょっと観光名物にふさわしい色合いとか
派手さが欲しい、という意見になって
今は三色の団子になっている。
緑と黄色と茶色という色あい。
坊ちゃん団子は、一軒だけでなくて、市内の何軒かの
お菓子屋で作っている。が、やはりあちこちのを食べくらべて
みると、あんこの具合、甘さ、と微妙に味わいが異なっている。
(実験したんかい、と言われそうですが、はい。しました。)


で、買ってきた団子。

ちょっと横に五円玉を置いてみる。
Dango2


そう。実は結構この団子はでかい。

あ、誤解なきように。
普通の坊ちゃん団子は、長さ10センチくらいの串に
ささっていて、団子の直径だって、その5円玉
くらいの大きさだからね。これは特製の坊ちゃん団子。

特製なだけにこの団子は、そうした普通のものの9本分
の分量があるんだ。
こうなると、たかが団子ということではなくて、
団子はもう完全に自己主張をしはじめている。

ワシは団子だ、どうだ、でかいだろう、と。
自己主張する団子。

団子のヤツめ、そのような自己主張などしおって。
団子の分際で自己主張するとはふてえ了見だ。
そおんな団子は、疾うに食べてやらなくちゃいかん。
というわけで、団子はむしゃむしゃと
食べられてしまった。


あ、食べたのは俺ではありません。
謙介なんて見ただけで、、ちょっと、、。
実際食したのは、
近所の中学生の男子です。

彼は晩御飯前にその団子を食べた。
「晩御飯前だからさー、団子持って帰って、
食後に食べたら? 」と俺も一応は言ったんだけど、
「いや、腹が減ってるから今食べます。」っていうことで
彼はあっという間にこの団子を食べてしまった。
そしてすぐに家に帰り、さらにそのまま晩御飯も
いつもどおりに食べたらしい。(後から彼のオフクロさんに
聞いた。「ふつうに夕食のおでん食べてましたよ。」
ひえええ。

このでかい団子、こちらにこられた際は、
一度チャレンジされてみてはいかがでしょう。(笑)


       ×        ×         ×


今日、職場で西行の歌のことが話に出る。

   ねかはくは はなの もとにて はるしなむ 
          その きさらきの もちつきのころ


で、聞いていたら、一番大切な部分がスポッと抜かして
いる、というか、なので、変な訳になってて、ちょっと
それは、、という話をした。

西行さんはなんで春、きさらぎのころに死にたかったのか、
と言えば、花の頃だから、という理由ではないんだよ。

花の散る花吹雪とともに、亡くなりたい、っていう
解釈なんか平気でしててさー。
そういうふうに間違った解釈をしてる人がすごく多いの。
そうじゃなくて、
きさらぎの満月の晩に、お釈迦様がなくなったんだ。
だからさ、
仏門に入って修行しながらここまできた
自分も、お釈迦様が亡くなった時期に同じように、死にたい、
と歌ったんだ。
お釈迦様と同じような最期を願望した。

だから「そのきさらきのもちつきのころ」
ということになるわけでさ。
別に桜の花が、、っていうのとは
ちょっと違う。
でも桜の花の下で死にたい、ってこの歌解釈してる人って
すごく多いと思う、、。
たしかに西行さん、奈良の吉野に行ってはいるけどね。

そんな話を昼に仕事場でした。


謙介は圧倒的に食べる話が多いので、
今日は「だんご」より「花」というあたりで
上品にせまってみたのでした。

(今日聴いた音楽 旅愁~斑鳩にて~ 歌 布施明
 1977年 作詞は松本隆ですね。詩がちゃんと一編の
 物語になっています。今の歌の詞とは、言葉の練度が
 ちょっと違う気がするなぁ。)


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Comments

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Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 04 PM 11:42

---Jean de Tokio さん
あ、この鳥取の団子はちょくちょくお土産でいただくことがあるんですよ。この辺ではおいしいお団子だと思います。それと串に刺す色の順番がそれぞれ違っているので、こっちの打吹公園のお団子のほうが変化があっておもしろいですね。四国のお団子は同じ色の順序なので、いまひとつ変化に乏しいように思います。倉吉ですねぇ、、。ああ、温泉に入りに行きたいなぁ。(失礼しました。)

Posted by: 謙介 | 08. 03. 05 AM 12:06

兄さん、何でもよう知ってはりまんなー。倉吉は、ちいちゃな城下町だけど、好きな町なんですよ。

あと、京都にも同じ色目の団子、あったと思うんやけど。
南座の向えくらいに。

Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 05 AM 1:05

---- Jean de Tokio さん
何でも知ってるんやあらへんのです。単に食い意地が張ってるだけなんやと思いますわ。(笑)えっと、南座の前の団子というたら、丹波屋さんですかね。それとももうちょっと西に夕方だけあける、ほとんど奥行きのないみたらしだんごのお店もありますよね。こちらは食べたことあるんですけど。(笑) 丹波屋さんはあそこ、チェーン店っていうのか、京都市内に何軒かあったと思うんです。西大路の円町でも見たし、ほかのところでも場所は覚えてないんですけど、あ、丹波屋さんか、と思って見たことありました。

Posted by: 謙介 | 08. 03. 05 AM 6:24

タンバヤではないですね。
もう今は無いのかな?
多分、今から25年前くらいの記憶です。
その後京都に住んでいた(89−92年)時代に、
その団子を見たことがあったかどうかは
不明です。


Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 05 PM 10:59

---Jean de Tokioさん
鴨川以東の四条通も両側に立ち並ぶお店、結構うつりかわっていますよね。25年前だと祇園に三越エレガンスなんてあったりしましたよね。もう今では建物しかありませんけれども。八坂神社の向かい側にあった趣のあった果物屋さんもコンビニになってしまったし、、。それがいいのかどうかは別として、何だかしみじみと時の流れを感じてしまいます。

Posted by: 謙介 | 08. 03. 05 PM 11:46

三越エレガンス〜! あったあった。
あそこから、ちょっと北へ上がって、
なにやら通りという路地みたいな通りの
骨董屋の古伊万里を、よだれを垂らしながら
覗いたものです。

あと、エレガンスと言えば、
アフタヌーン◯ィーがあそこに入ったけど、
それ以前は、高瀬川(だよね?)沿いにあって
デート(♂)に使ったものです。ww

Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 06 AM 12:13

----Jean de Tokio さん
アフタヌーン・ティ、入ってましたね。そういえば、あそこで、みどりのタータンチェックの柄の鍋つかみを買ったのを思い出しました。あの辺も変わりましたねぇ。(しみじみ)

Posted by: 謙介 | 08. 03. 06 AM 6:30

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