豆腐を手に、思いだしたこと
土曜日、近所の委佐子のスーパーに行ったら
○前豆腐が特売になって売られていた。
都会では売れている、っていうんだけど、
この辺ではどうも今ひとつ、っていう感じがする。
何でそれが分かるか、っていうと、この店って
売れ残りのそうした豆腐とか餃子とかさつま揚げを
何パックか一まとめに透明のビニール袋に入れて、
「お徳用」って次の日に売りに出すから。
なので、どうしても中のものが透けて見えて、
そこにその豆腐が結構あちこちの袋に入って
いるのが見えちゃうからなんだ。
都会だと、製品のネーミングがおもしろいとか
個性的だとか味がいい、っていうので売れるんだろうけど。
この辺はだと一パックが300円近くする豆腐は
やっぱりちょっと売れないなぁ。
だって○前豆腐程度の味の豆腐なら、
地元の別の豆腐屋のもので一丁90円くらいであるもの。
同じ程度の味でさ、いくら個性的だから、って、
片方90円、片方300円では、、ねぇ。
だから、売れないで、そのまま翌日の「お徳用処分市」
に回ったりしてるのが多いっていう仕儀になる。
そんな○前豆腐なんだけど、、。
俺の場合、○前豆腐っていうと、
ほかの人とは全然異なる別の感慨を持つ。
それは目の奥に拡がる懐かしい風景とか。
大学のときの恩師の家が、京都府の丹波地方、園部にある。
よくその先生に用事を頼まれて、(ほとんど秘書みたいに
一時期雑用を全部してたこともあったので)先生の家で
仕事をしていた。なので、右京区から船井郡の園部にはよく通った。
あ、もう今は船井郡なんて言わない。
合併で隣の八木町なんかと一緒になって
南丹市(なんたんし)という名前になった。
京都、っていうと、他の地方の人は京都市だけしか
頭に浮かばないかもしれないんだけど、京都府、って結構広い。
国立国会図書館・関西館がある相楽郡。
そうそう国会図書館だって京都府にあるんだよー。
(けいはんな丘陵の関西学研都市ね。)
ここはもうちょっとで奈良県。
ここみたいに、南はもう奈良っていうあたりから、北は日本海側の
舞鶴とか天橋立、それから以前は峰山とか網野って言われた
京丹後市まで、ずーっと京都府は続いている。
だから京都府だって結構広い。
昨日のお団子で、書き込みをくださった
Jean de Tokioさんのことでも思い出した「丹波」のこと。
丹波って、今の行政区画で言えば、兵庫県と京都府と両方
含む。だから兵庫県の篠山(ささやま)も「丹波篠山」
っていうし。 丹波の国だって結構広い。もっと北の舞鶴のあたりは
丹後だけど、元々は丹波だったのを割譲して丹後を作ったくらいだから
最初の丹波なんて、今の京都府の3分の2くらいあった、
って考えてもいいかもしれない。
ただ、その中でも、
京都の亀岡とか旧船井郡の園部の辺は、
都に近くて丹波の入り口だったから
口丹波(くちたんば)っていう呼ばれ方もした。
略して口丹(くちたん)とかね。
「くちたん」って、音の響きがよくないから、
無難に丹波の南部、で、南丹市としたのだろう。
丹波って、案外地の利はよかったりする。
たとえば亀岡市から、南に山を越えたら
大阪の高槻市に出られる。これが案外の近さ。
道はちょっとしたラリーコースなんだけどさ。
亀岡からだと1時間もかからずに高槻までいける。
電車だと一回京都まで出て、っていうふうになるけど
車は短絡線で行ける。結構大阪に出るのは簡単。
園部へは、JRの山陰線で。あ、その山陰線っていう
言い方もしないようで、今は園部まではJR嵯峨野線という。
ええ。確かに嵯峨野の野宮の脇を通りはしますけどね。
今はその嵯峨野線に太秦なんていう駅ができたから、
右京区の常盤に住んでいた俺からすると最寄の駅は太秦、
っていうことになったのだけど、あのころは、花園から
嵯峨まで駅がなかったから、山陰線に乗るときは
自転車で花園まで行って、そこからJRに乗っていた。
あの当時は、まだ電化もされていなくて
赤いディーゼルカーが4両くらいで走っていたり
ディーゼル機関車がワインレッドの客車
(こちらはまだ新しかった)
とか、もう古くて暗そうな客車を
ごとごとと引っぱって、
保津峡を越えて走っていた。
花園からだと、嵯峨、保津峡、馬堀、亀岡、並河、
千代川、八木、吉富、園部の順。
で、園部のひとつ手前。吉富の駅から、駅前の国道9号を
渡って、園部川を越えて、少し入ったところに
この○前豆腐の本社があるんだ。
(これでやっと俺が話していた丹波と○前豆腐の関連が
おわかりいただけた、と思う。ふぅ。)
園部に行くためにこの辺はしょっちゅう通った場所だし、
先生について、この辺の古墳とか史跡調査に
一緒に行った場所なので、そのお豆腐に
書かれた住所を見たら、謙介は「あ、吉富のあそこだ。」
って思い出したりする。
でもねぇ、○前豆腐のパッケージ見て、
感慨にふけっているヤツって、そうはいないと
思うんだけど。(笑)
花園から園部の間、大きな街は亀岡だけで、
あとは、小さな町の駅ばかり。
冬から春にかけてのこの時期、丹波は霧が深い。
保津峡を抜けた列車は亀岡盆地に入るのだけど
霧が深くて何も見えない。
もう文字通りの五里霧中状態。
この気候が丹波を変わらずに残した、というか
開発を阻害させた、ひとつの要因だろうな、
と思いながら、窓の外の白い風景を眺める。
でもこんな丹波の気候があのすごくいおいしい
黒大豆を作ってきたことも確かなことでさ。
一概にあの気候がちょっとなぁ、とも言えない。
(でも洗濯物はちっとも乾かないから、ホント
困るし、冬はむちゃくちゃ冷えて、やれやれ、っていうのは
確かなことではあるのだけど。)
そんな白い風景の中を列車は小さな駅で
停まっては発車、を繰り返して
次第に丹波の山の中に分け入っていく。
霧は濃いところと薄くなっているところが
あって、近く遠くにたんぼやわらぶきの家が
不意に現れたり、また白い風景の中にすっと
消えていったりした。
その風景は去年の春、久しぶりに園部に行ったときも
あまり変わっていなかった。やっぱりあのころのまま
田んぼがあって、遠く近くに家々がある風景のままだった。
もう俺が園部に通っていたときから、何十年も
ずーーーーーっと言ってた
園部までの複線化について2010年春に完成する目処が
ついた、と言ってた。京都市内だと、花園から
嵯峨嵐山までが途中の高架橋の関連で
今まで手がつけられてなかったんだけど
それも何とかなるらしい。
交通の便がよくなると人口が増えて、
開発が急展開で進んでいくのだろうか。
それともやはり丹波は丹波で以前とさして
変わらない風景のままなのだろうか。
また、今年も春がやってきた。
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Comments
にいさん、あんたようしゃべりまんなー。ww
タンバ、という音、タンバリンとか、ダムプリンとか、
サンバとか、何か、たたたんたん、みたいな音を連想させられるなー。そういや、タンゴ、なんて、もろダンスだしね。(ちなみに、小浜は、オバマ支持だし)
下京区に住んでいたんだけど、アパートの斜め前くらいに豆腐屋があって、聞いたら創業300年だかなんだかで、朝早い時間に行くと、ぬくぬくの豆腐や、そのまま醤油つけて食べられる揚げたてのおあげさんとか、極上の大豆製品たちが並んでた。そういう店、いっくらでもあったんだよね、京都って。
でも、数年後、久しぶりに住んでいた界隈を歩いたら、その豆腐屋、跡形も無くなってました。きっと◯前豆腐(またはそのような、大型の流通に乗っかるタイプの豆腐)のせいです。
ちなみに、Jean de Tokio◯前だけど、◯前豆腐は未だ食したことがありません。
Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 05 PM 11:11
----Jean de Tokioさん
小浜って、長崎の雲仙の近所にも小浜温泉ってありましたよ。漫才で海原お浜小浜師匠が、、あ、あれはおばまじゃなくて「こはま」でしたぁ。(笑)
何だかそういう○前豆腐みたいなのが流行るから、右京区の常盤の駅近くにあったお豆腐やさんも、そのお話のお店と同じく、少し前に店を畳んでしまいましたよ。そういうことで店を閉めてしまうところ、結構増えているんですね。
Posted by: 謙介 | 08. 03. 05 PM 11:51
お浜小浜師匠の漫才、大好きやったわん。
海原一門、千里万里といい、さおりしおりといい、結構好き。深く考え過ぎなかったら、上沼恵美子も決して嫌いじゃない(大阪城が家、とか、大好き!)けど、漫才やってた頃は今とは比べものにならんくらいおもろかったと思うな。
Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 06 AM 12:19
そうだ、10日に入院ですか?
近くにいれば、何か手伝えることでも、と
言いたいところです。
ブログの更新は出来るような環境なのですか?
Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 06 AM 12:23
---Jean de Tokio さん
上沼さんは、そうですね。確かにお料理の番組とかBKの法律相談の番組にも出てますけど、前の漫才のほうがよかったなぁ、、と思います。海原一門、おもしろいと思いますが、はるかかなたは、、ちょっと、、、あ、まぁそれはどっちでもいいですけど。
がんセンター、最新鋭の病院だけのことはあって、ネットができる環境にはあって、うちのおなべさんも連れていくつもりではあるんですが、検査、結構きついので、(腿から薬剤を入れて反応を見るとかいうような検査もあって)ぐったりとなって、メールの送受信くらいが関の山になるかもしれません。滞院報告くらいはたまにするかもしれませんが、基本的に更新はお休みにするつもりです。
Posted by: 謙介 | 08. 03. 06 AM 6:27
はるかかたな? 誰だっけ?ww
ぐったりしてしまいますよね、そりゃあそうですよね。
ネットを通しているとは言え、会話を楽しませてもらってきているので、しばし寂しくなりますが、検査第一ですからね。帰宅されるまで、濡れた子犬のように待ってますww
Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 06 AM 10:42
----Jean de Tokio さん
海原はるか かなた、
片方の人が頭髪の状態が、寂しいのを必死でやりくりして整髪して出てくるわけです。そうしたら相方さんがそのおぐしを「ふっ」って吹くと、頭のは、、っている部分があらわになって、笑いを誘う、という二人組の漫才です。先々週だか笑点に
出てたように思います。
途中で何か書けたら、短信くらいは
かけるようにしたいとは考えています。けど、体調次第なので、入ってみないと分かりません。
Posted by: 謙介 | 08. 03. 06 PM 9:17
ああ、あの爺さんたちのこと!>はるかかなた
あの人たちも海原一門ですかー。
実は、今、こちらのブログのバックナンバーを、
せっせと読んでいます。
その都度、タイトル毎に、コメントをつけたくなりますが、キリが無くなりそうです。
四国は、遠くない、いつでも行きたい土地です。
弟が、善通寺にいたので、その間に、
多分、3度行ったと思います。
空気の肌触りが違うなぁというのが、
第一印象でしたね。
弟を訪ねて行ったのですが、
別に、飛び込みで(?)スペイン人の神父さんを
訪ねたので、
四国=スペイン、という変な公式が
インプットされちゃってます。
昨日、うちの近所のスーパーで、
何故か『坊ちゃん団子』を発見。
しかも、今日は、プール帰りによく散歩する
商店街にある、ガイアという八百屋で、なななんと、
『はるか』を発見!(嬉しくて写真撮ったのだけど、
今思えば買えば良かった、アホ!)
http://www.gaia-ochanomizu.co.jp/index-uehara.html
Posted by: Jean de Tokio | 08. 03. 06 PM 10:09