地産地消というけれど
うちの姉は、このところ鼻が天を向いているかのように
偉そうにふんふんと言い散らかしている。
「だから言ったのよ。」
彼女は、もう10年以上前から、一貫して
中国からの輸入食品は食べない、と宣言していた。
「どうして? 」って聞くと、
「あんた、中国のオッサンなんてさ、便所から出て手なんて
石鹸で一々洗ってるとは思えない。
そんなばばっちい手で収穫された
ものなんて汚くて、うち、よう食べられへん。」
聞き方によったらえらく差別的な発言だ、
とは思うけど、それにしても彼女はずっと、
ことあるごとにそういい続けていた。
まぁね。
衛生ということで言えば、俺は
あながちうそともいえないと思う。
南京の紫金山に行ったときに、露店でジュースを
売ってる店があったんだけど、使ったガラスの
コップ、どうやってるのか、って思ったら
つぼの中に入ってた水を、前の人が使った
ガラスコップの中に入れて、ぐるぐるっと回して
水をさっと捨てて、それでまたタオルの上にガラスの
コップを伏せて置いて、、、。
それから。河南省の田舎を旅したことが
あったんだけど、そこでトイレを借りたら、
村の公共厠所を教えてくれた。穴だけ
4つ、等間隔に並んでた。周囲から見えないような
囲いはあるけど、屋根なんかない。その日は雨。
入ったら、おっちゃんがそのひとつの穴のところで
傘をさして、お尻を出して、
文字通り、うーん、と、きばらはっている
ところだった。思わず「にいはお。」 と言ったら、
「はおはお」と答えてくれた。
嫌だなぁ、って思ったけど
俺だって結構切迫状況
だったので、ええい、と思って
一緒にお尻を出して、いたしました。
日中合作。
たぶん、隣の人とかさをさして、、世間話をしつつ、
大をするような経験はもう二度とないとは思う。
(二度あってたまるか)
その厠所には、手を洗う施設はなかった、と思う。
まぁトイレの後で手を洗う洗わない、っていうのは
確かに中国だけ槍玉に挙げても仕方ないとは思うけど。
日本だって、見てたら、結構洗わないで出て行く人も
いるし。ほかの国だって結構いい加減かもしれない。
ところで。
このブログを今、お読みのあなた。ちゃんと
トイレを出るときに、手を洗っていますか?
そしてうちの姉は、そんなの不潔なのが想像できるから嫌、
と中国野菜を絶対買おうとはしなかった。そこにきて今回の
騒ぎだからさ。もう「ホラ見ろ。」「私は正しかった。」
「だから言ってたのよ。」と彼女は、連日鼻の穴を上に向けて
膨らませて言うことしきり。
あんまり言うから、
「気をつけんとHDって言われるよ。」って言ってやった。
「HDって何やのん?」 って聞いてくるから
「はなげがでてるの略や。」と言ったら、思いっきり
背中をぶたれてしまいました。ご打擲(ごちょうちゃく)
するなんてひどいぢゃないか、と言ったら、ふん、と
鼻であしらわれてしまいました。ふんHBDめ。
(はなげがぼーぼーでてる)
そういう中国ものは危険という声の中から
輸入物は危ない。食料自給率をあげよ。
昔のように地産地消にしなくては、という
声が大きくなってきている感じがする。
テレビを見たら、日本は昔は地産地消だった、、
なんていうことを言ってる人がいた。
ふーん。
こないだ見た日本史の教科書に、「大坂は各地から食料や物資が
集められ、天下の台所と呼ばれた。」 とあったけど。(笑)
ご存知のように大阪のうどんのだしって、
基本的に昆布とかつお節を使うけどさ。
ところで昆布って大阪湾で採れたの?
今、朝のNHKのドラマ、「ちりとて、、」の
舞台になってる福井の小浜あたりの若狭から、
京都に向かう道を別名鯖街道という。
北陸で獲れた鯖を京都に運んだ道だったから
つけられた名前だけど。一体あれは何?
紀伊國屋文左衛門が名を成したのは蜜柑舟だった
わけだけど、あれはたまたま嵐の日に蜜柑舟を
出して、希少価値で儲けた、ということだけどさ。
ということは蜜柑舟というのは、嵐でなかったら
普通にあった、っていうことでしょ。
紀州のみかんが江戸まで来てた。運行経路が
すでに成立していた、ということだよね。
というか、北前船っていう日本各地を回って
荷物を運ぶ海運が発達してて、各地の産物は
結構行き来をしていた。
そもそも江戸時代の大阪堂島の蔵には、日本全国から
さまざまな農産物・海産物・お米が集まってきていた。
そしてそれは大阪から江戸に運ばれたり
日本各地に運ばれた。だから大坂が
「天下の台所」って呼ばれたわけなんでしょ?
歴史を知ろうとしない人間は、必ず昔は
交通が未発達で、人や物資の往来も限れらて
いた、なんていう固定観念で思い込んでいたりする。
だいたい考えてもみてよ。大昔、日本に渡来人が
数多く来てるんだよ。対馬海峡を越えて
朝鮮半島から、何十人なんていう程度じゃ全然
桁が違うような大勢の人が来てる。モンゴルの軍隊
だって来た。
古墳時代だって、日本国中で、たった一箇所
四国の山でないと出ない石で作られた武器が
長野とか近畿で見つかっている。
それから藤原京や平城京から出る木簡を見たら、
地方の産物が当時の都に運ばれてきていた
記録がちゃんと残っている。
そんな古い時代からこの国は、各地の産物を
行き来させていたのに。人の行き来、物質の行き来は
大昔から結構頻繁にあった。
また、それをどんどん加速させようとしてきていた。
食料を他の地域から持ってくるの、昔からやってたよ。
しいて言えば、ワールドワイドになった、っていうことは
あるけど。だけど、地域間の流通なんて大昔からあった。
日本って、そういう国なんだもん。
だから、こっちで取れないのであれば
こっちから持ってくればいいじゃないか、
って、平気で考えられる下地をこの国は
もう千何年もかかって持ち続けてきてた。
だから、役人は、それでいいじゃないか
って思って、自給率をどんどん下げても
平気で思ってた。だからこそこんなふうになったわけだし。
歴史を見てきた人間の眼から言えば、むしろ
地産地消を言い出したことって、ひょっとしたら
この国では画期的に新しいことでないか
とさえ思うけどね。
だからこの意識をここにきて大変換する、というのは
なかなか簡単にいく、ことではないだろうな、っていう
気はする。
こないだもヒシくんが、そんな話を書いて
くれていたけど、じゃあ、誰が農業をするの?
っていうことにもなるしね。今や離農する人は
すごい勢いでどんどん増えている。高齢化で
急勾配な山で農業をすることができなくなって
農地を放棄した場所がすごい勢いで増えている。
だから元、田や畑だったところはいまや
すっかり荒れ果てた土地に
なっている。もう漢詩のまんまで
「田園まさに荒れなんとす。」状態。
すっかり荒れ果ててしまった農地を
これをまた元の作物がとれる状態の土に
戻すのだって、何年もかかる。そういう問題を
ひとつひとつクリアしていかなくちゃ
なんない。輸入小麦が高くなりました。
それならあいた農地で小麦を作りましょう、
なんて簡単にいかない。じゃあ誰が麦作るのさ?
そんなの都会の人をこっちに持ってきて、、
なんて片付けられるような簡単なことなんかじゃ
ないもんね。
というのか、日本って、農業政策自体にポリシーがなくてさ
いきあたりばったりをずっと重ねて、とりあえず
ここまで何とかやってきたけれども。もう
そんな「とりあえず」じゃ、にっちもさっちも行かなく
なってきていて、、。田舎から見たこの国の農業って
そんな状況でもあるように思う。
まぁそういう食料自給のための計画とかも
含めてこの先どうしたらいいのか、っていうのを
考える時期に来ていることは確かだろうな、
って思う。
いい機会じゃないかなぁ。ちょうど今、そういうこと考えるの。
だって、もうかちかち山のタヌキさんみたいに
お尻に火がついた状態でしょ。少しは
真剣に考えたらいいんじゃないか。
考えられるんじゃないか。
俺、そんな気がする。
(今日聴いた音楽 ヨハン・セヴァスチャン・バッハ作曲
無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV 1009番
アルマンド チェロ演奏 馬 友友)
« 仮想図書館よりも | Main | 気分転換 »
「くらしのこと」カテゴリの記事
- 腕時計(2011.07.11)
- 筋トレ評論家にでもなれってか。(2009.08.17)
- イミダゾール・ジ・ペプチドの摂取について(2009.08.03)
- ホテル仕様のタオル(2009.03.19)
Comments
貝原益軒が『養生訓』の中で、身土不ニ、ということを述べていて、それを後年、桜沢如一が、マクロビオティックの原理に結びつけていったのでした。
簡単に言えば、自分の生活している土地のものを食べていれば、間違いはないよ、と。
今からもう20年位前になるけれど、マクロビオティックをとてもストイックに実践していたことがあって、じゃあ現代において、何を食べれば良いのかということを考えたときに、産地で選ぶのは困難としても、できるだけ名前を聞いてどんな土地だか知っている、想像がつく場所のもので、市場や八百屋に一番たくさん出回っていて安いものを食べれば、まずまずだということに行き着いたことを思い出します。そういう時の癖は今も身に付いていて、役に立っています。
地産地消とは少し違う方向へ生きますが・・・
ひょっとすると中国などでもそうかも知れませんが、インドの市場へ行くと、ある日は、果物屋という果物屋が全てバナナ、そしてある日は、全てリンゴ、というようなことがまだ当たり前で、いかにもその季節の物だけが
(そして明らかに地元で生産されたものだけ)流通しているという感じでした。真冬に茄子や胡瓜やトマトを食べてる日本人って、ほんとにおばかさん、と思うのは、間違ってるでしょうかね?
Posted by: Jean de Tokio | 08. 02. 20 PM 11:44
あら? 私の名前が。照れますね(←何が)
四季があって天候も安定してない土地ですから、
農業国になるのは無理があるのかもしれませんが、
テレビキャスターが「やっぱり地産地消ですね」
と言ってるのを聞いて、まぁどうしてここまで強調するんだろうと
思っていましたが、
農水省のサイトに「都道府県別食糧自給率」のデータがあるんですが、
これを見て感じたことがありました。
東京1、大阪2、神奈川3。
叫ぶぐらいに地産のものがないんだろうなぁって。
地産がないから地消のしようがない。
よその県より移動し、補うしかない。
それでも国内での移動ですから、
地産地消にはなりますね。
>急勾配な山で農業をすることができなくなって
平野が少ない土地だからなあー…
山を開拓したわけなんですけど、
「山」ですからね。
本当に、簡単ではなかったみたいですよ。
Posted by: ヒシ | 08. 02. 21 AM 12:55
---Jean de Tokio さん
うちの実家もそうなんです。
ご近所の方から大根ができた、と言って、二本くらいもらったところに、また別のところから大根ができたといってはもらいで、家中大根だらけになったりします。でもせっかくいただいたのですから、もったいないので何とかして食べなければならない。3本くらいは、細く切って切干にしたり、後はみぞれ鍋、ちりめんじゃこの大根おろし添え、おでん、魚のあらとの炊き合わせ、ふろふき、と、かたっぱしから大根料理のオンパレードになってしまいます。(笑)本当にそうですよね。冬にトマトとかきゅうり、夏にみかん、って、、。旬の時期に、旬のものを。これが栄養の面でも、食べ物について本当に知るうえでもやはり一番だと思います。
Posted by: 謙介 | 08. 02. 21 AM 8:12
----ヒシさん
今も各地に千枚田とか段々畑がありますが、本当にそんなところまでどうやって耕してたの? っていうような場所、ありますよね。そういうふうにしてまで農地を作ってきた過去もあるのに、外国から買えばいい、っていう理由で、どんどんそういう土地からの農業がなくなっていまや荒れ果てたた山の斜面に戻ろうとしているところもたくさんあるようです。
毎日そんな、昔は畑だったのだろう場所を見ながら通勤したりすると、やはりいろんなことを考えてしまいます。
今、そういう中国からの輸入の食品問題関連で、食べ物のことを考えよう、っていうことになっていますが、そういう食べ物のことを考えるのにはいい機会だとも、思います。(ちょっと遅すぎもしはしますが考えないよりはずっとましだと思います。)口に入る食べ物がたどってきた経路とか、流通とかを考えると、本当にびっくりするような複雑でいろんな関係が結びついて、それでここにきたんだ、なんてことが分かりますよね。そういうことも含めて、自分の食べるものは、簡単に来たのではない、と思うっていう意識を頭のどこかに持っていないといけないように思います。そういう感謝の言葉で「いただきます」とか「ごちそうさまでした」っていう言葉を遣ってきたんでしょうし。ヒシさんのお話、いつもそういうことですごく参考になっているんですよ。どうもありがとう。
Posted by: 謙介 | 08. 02. 21 AM 8:22
まあ,そうはいっても,輸送にかかるエネルギーも馬鹿にはならないし,伴って発生する二酸化炭素という問題もあるので,僕は沖縄でできる野菜は沖縄産を買うようにしてますよ(微笑)
最近,北部のある町でブナしめじも量産されるようになって,近所のスーパーではホクトのに肩を並べてます。ホクトのより安いのは輸送代がかからないから,かしらん?
Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 02. 21 PM 9:56
---Ikuno Hiroshiさん
今日、たまたま栄養士の友達に会ったので、ぶなしめじなんて工場生産で、天候になんか左右されないのに、価格変動が起きるのか聞いたんです。そうしたら、工場の室内気温を調節するための燃料代ですって。それが価格に上乗せになって、通年でも微妙に価格変動があるんだ、ということでした。なるべくね、地元のものを食べる、というのが一番いいですね。その土地の気候風土から生まれたものを、いただく、というのが、俺も一番自然な形でいいように思います。
Posted by: 謙介 | 08. 02. 21 PM 10:28