あのときの空、あのときの夕陽。
今日は月曜だったので、仕事帰り、がんセンターに行く。
ずいぶん、と日没が遅くなってきた。
ちょっと前は、5時を過ぎたらもう暗かったのに、今は6時くらいでも
まだ明るい。なので、夕陽を右に見ながら、車を走らせる
ということになる。
ちょうど今ぐらいの時期の夕陽を見ていると、
学校を終える年の2月のころのことを思い出す。
就職は前の年の暮れに決まっていたので、
ちょうど2月の今頃は
あ、もう来月、修了式が終わったら、永年住み慣れたこの家から
引越しだなぁ、という漠然としたことは決まっていて。
だけど、今まで暮らしてきてあっちにもこっちにも
声をかけてくれる人のいるこの街のこんな暮らしも
まだ捨てがたいような気もして。
何だか終わって行く一日一日の時間がすごくもったいなくて
時間が経っていくのがものすごく惜しかった。
毎日のこんな生活が、来月で終わってしまう、という
ことがまだ十分に受け入れられなかった、っていうことも
あるのだろう。
それに自分だけ遠くに行ってしまうことになるので
もうこの街にはいられない、となったら
それがまた、たまらなくさびしくて。
あ、いろんなところ見とかなきゃ、
行っとかなきゃ、っていうので、もうこの時期やたらめったら
外出しまくりだったように思う。
そうそう、あの時期、友達と回った場所から帰るときに
見た夕陽の色がこんなだったなぁ、とふっと思い出す。
91番の市バスを降りて、目に飛び込んできた山を照らす夕陽の色。
嵐電を降りて、今乗ってきた電車がゆらゆらと帷子の辻のほうに
降りて行くのを眺めたときの光景。
あ、って思い出したのは、
昨日見たウイスキーのコマーシャルにこんな電車が
映っていたせいかもしれないけれど。
コマーシャルに映っていたのは、たぶん四条通の西院(さい)だと思う。
そのコマーシャルの最後に映るたそがれの風景を見ていたら、
いろんなことが一斉に押し寄せてきて
急にボロボロ涙が出てきて
しばらくとまらなくなってしまった。
あれからずいぶんの歳月が流れて、
今、自分は思いもしなかったところに
思いもしなかったような形で、だけど
何とか生きていて、毎日暮らしている。
先週の木曜は、さすがにちょっと痛いなぁ、、
と正直思った。バレンタインにこれかよ、って。
確かに腫瘍マーカーの数字が上がってきたのは、
がんが動きはじめている、という兆候ではあるけど、
それが、確実にそうなった、っていう
わけじゃない。まぁとりあえず自分は今、何とか
こうして生きていられているわけだし。
前にもう10年以上親しくさせてもらっているゲイの
カップルの友達のYくんが「確かにしんどいことが
あるとは思うけど、そのしんどいことは、決して
謙介が乗り越えられないような、手に余るほどの
しんどいものは来ないようになってる。」って言ってくれたし。
まぁ今までにもずいぶん危機的なことはあったけど
何とかなってきたし。
考えたらお気楽なことだ、という考えだけど、
もう一生治らない病気を
抱えている身としては、お気楽だ、くらいに
思っていないとやってなんかいられないから。
毎週、前回の採血の結果が打たれた紙を
もらって、数値が数値が、って眉根にしわ寄せて
なんてやってたら、早晩そっちの悩みのほうで病気も
より悪化するような気がするし。
確かにこの全然裏づけのない楽観論の根源にある
それでも「俺は元気です。」なんて言ってる自信は
一体何なんだ、とは思うけど。
でもね、自分にはあんな光景を見られた、それを今こんなふうに
思い出すことができる、っていう心の財産が自分にはあるよな、って思ったら
少し考えが変わったことも事実でさ。
そんなことを、まとまりもなく思いつくまま、
夕陽を見ながら考えていた。
俺の人生の中で、出会った人。別れてしまった人。
ほんのちょっと、わずか数分の出会いだったけど
今もすごく覚えている人もいれば、何年か
一緒に仕事をしたけど、それだけだった、っていう人もいる。
今はどこでどうしているかなぁ、ってふっと
その自分と会っていたころの顔を思い出してみたり。
そんな夕陽を見ながら、思いつくことを
そのまま頭に浮かべながら、車を走らせて
いたら、ちょっと気持ちが変化したように思ったんだ。
仕事場から1時間ほどでがんセンターに到着。
先週の木曜は、人が少なかったのに、
行くと、今日はひえええ、と思うくらい人がいっぱいいる。
顔見知りの人が、「○○先生、
病棟のほうに行かれて、さっきようやく戻ってきたから、、」
と教えてくれる。内科外来の受付に診察券と予約票
を持っていくと、○○先生、1時間遅れで診察中と
出ている。こりゃ、帰ったら、8時前かも、、
と覚悟する。
まぁそれでも思ったよりは早く名前を呼ばれて
(先生、今日はお話をせずに診察だけさっさと
やって効率よくあたったんだと思う。)6時40分
には診察に入った。
「で、入院はいつにしましょう。」ということになって。
「どうしても急ぎますか? 」と俺。
「ちょっとあわてたほうがいいかもしれません。」
「でも来月・今月の仕事を前倒ししてしますから。
何とか今月中は待ってください。」
「分かりました。じゃあ来月の早い時期。」
ということになる。先生、病棟のベッドの空きを
確認してくれたのだけど、今度は3月が病棟のベッドの
空きが、なかなか、、ということで、3月中に
ベッドの空きを見て、病院から連絡してもらって
それで入院、ということで落ち着いた。
今日の採血は7本。
それでも思ったより早く、7時過ぎ、
何とか家に帰ってくることができた。
今はとにかく目の前の仕事に
何とか目処をつけなければ。
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Comments
季節が、行きつ、戻りつ、しながらも、方向としては、先へ、少しずつ先へと、進んでいることを体感するこの数日です。
前回の日記のコメント欄を見てると、謙介氏&JdTの、ほぼ交換日記状態ですね。すんません。たくさんの人が、ジェラシーを感じつつ、傍観されてることでしょうね。
あのCM、出来ずぎな感もあるけれど、やっぱりちょっとホロっとしますね。年齢を重ねると、ああいう、さりげない人の優しさに、ホロっとする人を見て、こっちもホロっとしたり、グっときたりしてしまいます。
宮尾せんせ(宮尾登美子)が原作という関係上、N◯Kの大河を久しぶりに観てます。
昨日の放送で、おかつ(後の篤姫)が、島津の分家から、本家の養女にと迎えられることになり、迎えの立派な蒔絵の塗り駕篭に乗って、実家を後にし、お城へ上がる途上で、おかつを慕って恋いこがれていた、若い侍が見送っている姿を、駕篭の御簾越しに見つけるというシーンがありました。
おかつとこの侍は、時を同じして生まれ、それぞれが本家のお殿様から同じ島津の紋入りの色違いのお守り袋をもらっていてものを、おかつの出発前夜の別れの宴で、互いがこれから息災に、幸せに生きることができるようにとの念を込めて、それぞれのお守りを交換したのでした。(異国では友である印として互いの大切なものを交換しあうそうです、と、おかつが説明してましたが、大層飛躍した脚本ですね!)
そして、おかつが乗った駕篭を路上で待ち受けた侍は、姿も顔も拝むことすら出来ない、駕篭の中にいるおかつに向かって、(水戸黄門よろしく)交換したお守りを高くかかげて、別れを惜しむのです。それを見つけたおかつも、同様に懐からお守り袋を出して・・・
と、ここで、不覚にも、ホロっときちゃいました。
映画(は最近あまり観ないけれど)やテレヴィで、人と人との別れのシーンで、不意に、自分の過去の別れの経験と、何かがピタリと重なって、ググっとくることもあります。長く生きていれば、色々な別れを経験しているものですから、前はあまり感じたことがなかった、例えば親との別れの場面などには、最近妙に敏感になります。両親は未だ健在だけれど、近い将来、必ずやってくるんだと思えば、身近な感慨になりますね。
なんだか、毎日、ちょっとしんみりしちゃいます。
また、バナナ費の話もしましょう。ww
Posted by: Jean de Tokio | 08. 02. 18 PM 11:47
「楽観論」
僕も楽観的な方です(笑)
というか,心配して何とかなるんならいくらでも心配するけど,そんなことで事態が動くわけがないんだから心配しない,という割り切りというか(苦笑)
天理教じゃありませんが,どうせ一生,陽気ぐらしってのが一番じゃないかと。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 02. 19 AM 1:01
---- Jean de Tokio さん
今の世の中、俺たちは結構あやふやなはずの先の日程をもうほとんど(半ば自信に満ちて疑わず)確定したようなことを言います。かたやニューヨークに住む友達とかたや京都に住む友達が、「じゃあ、○月○日の午前11時に四条河原町の高島屋の前でね。」なんて約束をしたりすることもあります。携帯があるから、しょっちゅうお互いの消息だって知りえる。だけど、昔はそんなことは決してありませんでした。今は会ってる。だけど、この先次に会えるのは、もう一生ないかもしれない。文字通りの今生の別れになるかもしれない。そうなったら、「念」というものをやはりそこに込めたんだと思います。自分の気持ちのたけをその相手に託した。日本の「たましい」の考え方は、いくらでも殖やせるんです。多ければ多いほどそれは命が盛んで元気です。そうした自分の魂を相手にこめた。物理的には離れた二人でしたが、気持ちは二人一緒。そうなのでしょうね。今の時代、何だかお手軽になっちゃって、相手に「念」をこめるとか、離れてもいつも一緒、とか。そういう部分の気持ちを考える、ということがさっぱり出来なくなっているように思います。あーあ。鈍化しちゃいましたね。そうですか。宮尾先生の作品がおすきなのですね。あの方の挫折に対する心構えとかあきらめない態度、あのがんばり、っていうのを見ていたら、ああ、やっぱり高知のおばちゃんだなぁ、って思います。
Posted by: 謙介 | 08. 02. 19 AM 6:20
----Ikuno Hiroshiさん
ありがとうございます。
もう今までにいろいろありまして。(笑)テレビの実況中継みたいに、ああなりました、こうなりました、なんて一々それをまにうけて深刻に考えても、大勢にさほど影響はなかったようです。(あくまでいままでは、ですが) なので、あれこれと思わずに、もうなるようにしかならへんし、と思って、好きにすることにしました。(いや、主治医のお言いつけは守りますが。笑)そのほうがねぇ。ストレスも少なくて、最低限精神保健上もずいぶんいいように思うので。
Posted by: 謙介 | 08. 02. 19 AM 6:24
今日明日と2連休なのに、最初の日の半分をゴロゴロして過ごしました。やっぱり仕事してると一日の後半に、手首がキリキリ痛んだりするので、何もしない養生の日は、今は必要みたいです。明日は、一人で温泉へ、とは思ってますが。
フランスに住んでいた頃、常時数十カ国の人種が、出入りしながら、共同生活をする環境にいたんだけれど、当初は、誰かが国へ帰って行くそのお別れの度に、号泣して見送ったものでした、が、ある時、ふと気がついたことがあるのです。離れていても、一つに繋がっているということに。そこに気がつくことが出来たことで、自分の人生が大きく転換したとも思っています。
話がいつも長くなって申し訳ないけれど、2年間のフランス滞在後、帰国することになり、途中、スリランカを訪問したときのこと。ある大学の学生リーダーたちのミーティングに参加したんです。当時、スリランカは、民族間の闘争の激しい頃で、2週間の滞在中にも政治家が暗殺されるなど、不穏な空気が流れていました。学生たちは、そういう自国の状況を、どのようにして乗り越えて、平和へと進んで行くことができるのか、というようなことを話し合っており、まるでスリランカの政治などに明るくはなかった、この日本人にも意見を求めてきました。正直とても困惑したのだけれど、暫く考えた上で、こう答えたのです。
「祈ることが必要だ」と。
大ブーイングでした。祈りが何を変えることができるというのか、と。
しかしながら、こちらとしても、そういう気持ちを翻す事はできませんでしたので、彼らにさらに伝えたのは、確かに祈りなどという抽象的なものが、何かを劇的に変えることはできないかもしれないが、目に見えない力が働いて、我々の気がつかない何かを変えることが出来るのではないか、と。そして、彼らに約束したのです。
今日の日のことは生涯忘れない。自分の命が続く限り、いつもあなたたちのことを忘れずに、自分の祈りの中にあなたたちの名を呼ぶ、と。
ほんの30分ほどの邂逅。そしてあれから相当な年月が経過していて、彼らの顔も、また個々の名前も実は覚えてはいないけれど、今もこうして折に触れて彼らの事を思い出し、彼らのために祈ることがある。同時に、ひょっとすると、あの時の誰かが、自分についても忘れずにいてくれて、祈ってくれているのかも知れないと思うと、それだけで何か見えないエネルギーのようなものを感じることがあるのです。
幸いなことに、自分のことを遠くで思い、祈ってくれる友人が、世界中に散らばっています。生涯の大親友は、フランス時代に1年一緒に生活をしたスペイン人ですが、もう十数年会ったことは無いんです。しかもこの十数年のうち、数年間は全く音信も途絶えていたんですよ。なのに、今もお互いの存在をとても身近に感じ、お互いを支え合っていることは明らかです。
一人ではない、この地上では、と、つくづく思うんです。
謙介氏との不思議な出会いも、これからの人生にあって、大切なエネルギーの源となっていくのではないかと思っています。そして、祈り、念をこめながら、謙介氏の心と体の健康を思っています。
宮尾せんせとは、もちろん個人的な面識は無いのですが、上村松園の生涯を描いた『序の舞』で、京都のことばの監修をお手伝いされた方は、俺のある意味で師匠というか恩師のような人ということもあり、何となく気軽に宮尾せんせ、などと呼んでます。
今日は今から映画でも観てこようかと。前作を観た都合上、「エリザベス ゴールデンエイジ」を観ておこうかなー。
Posted by: Jean de Tokio | 08. 02. 19 PM 1:56
-----Jean de Tokio さん
思うこと、その思いを言葉に出して相手に伝えること。これは自分の意識をそこに込めますよね。俺が最初にサイトを立ち上げたときに思ったのは、「言葉を大切にしよう。」ということでした。いまや携帯全盛の世の中です。携帯の言葉は短いです。言葉の断片、と言っていいかもしれません。そんな言葉が目に見えないところで一日何千億と飛び交っている。いつか言葉の値打ちがどんどん下がってきました。人の目を惹くキャッチーなコピーばかりもてはやされるようになってきました。それはまたゆっくりと歩く速度でものを考える、ということができにくくなってきたのと歩調を合わせているようにも思います。もっと自分で思って、考えたことをお話したい、と思ったのが、そもそもサイトを立ち上げたきっかけでした。 言葉も人の思いもなんだか、ずいぶん変化してしまいましたが、俺はそれでも、、と思っています。思いを込める、ということ、Jean de Tokio さんのお話を伺って思いを新たにしました。あ、そういえば、男色でアニキのほうの人を「念者」と言ったなぁ、ということも思い出しました。(笑)
Posted by: 謙介 | 08. 02. 19 PM 8:46