座敷ブタだって結構忙しい
日曜日、昨日は実家に戻らない、と決めていたので
週末、本を集中的に読もうと、用意をしていた。
いろいろな人のブログを拝見していたら、
書いている人の年齢が若いっていうのか、
出歩くのなんて全然苦にならないのかなぁ。
みなさん、いろいろな場所に
出かけているように思う。
(まぁ出かけてネタになりそうなこと
を書くのだから、出たから、書く
ということかもしれないけど。)
ブログの中には、出歩けなかった、とあって、
家にいることが、ものすごく嫌だとか
もういつも出歩くのが当然の前提、みたいに
書かれてる文章もあって、今日は風邪ひきだから
仕方なく家にいた、なんてあったら、、
(病気でさえなかったら出歩くわけで。)
やっぱり元気、だなぁ、と思う。
俺は家の中で、いるのは全然苦にならない。
うちの家族は、家の中で、ボーッと
本を読んでいるという状態が、みんな好きなので、
家の中で過ごすのは家中が全然苦でない。
むしろ積極的に好きだったりもする。
そういう状態をうちでは
「座敷ブタ」と呼ぶ。
なので、みんなこの座敷ブタが大好き。憧れの的。
「あんた、明日の予定は? 」
「え? ああ。今日図書館行って本借りてきたし、
明日は一日座敷ブタ。」
「うわ、ええなぁ。わたしも座敷ブタしたいのにぃぃぃ。
用事があって出んならん。」
と悔しがったり残念がる。
羨望と理想の座敷ブタ生活。
さて日曜日。今日は座敷ブタ! って思って
がんばって本を借りてきたのはいいんだけどさー。
20冊まで借りられるところを、少なく見積もって
4冊しか借りてこなかった、
って思って読み始めましたら、それがきついきつい。
10代後半は、ものすごい集中力と体力があったけど
いまや、集中が続きません。
ちょっと読んでは、コーヒー。
ちょっと読んでは、トイレ。
挙句の果てに、あ、買い物に行かなきゃ、って思い立つ始末。
日曜は20日だったから、「20日30日5パーセントオッフ」
と宣伝している近所のオカダヤまで行って買出しをする。
オカダヤでは、パン粉とか、ヨーグルトとか牛乳とかを買う。
それから、ここまで来たし、と思い、オカダヤの北に
ある委佐子のスーパーまではしごして、あれこれと買う。
こちらでは野菜とか、果物を。
きんのつぶとろっ豆納豆3パック88円、、あ、これこれ。
キャベツ1玉80円。いよかんが6個298円。
大根半本50円。ニンジン3本93円。
メークイン5個100円。
生食用の牡蠣が1パック275円なので、
大根おろしで洗ってから牡蠣フライにしよう。
合挽きも買って、ハンバーグをまとめ作りしよう。
何か作りたかったものの材料をあれこれ買って
2軒はしごして1時間半。
あ、時間取りすぎ。
帰ってハンバーグを6個作って、お米を洗って、それから
お昼の牛丼作って、、って行ったらたちまちお昼。
あ、時間が、、といいつつご飯を食べて、
本を読みはじめる。
『鹿男あをによし』は、大学の時、いいなぁって片思いを
ずっとしてた同じクラスの奴が
奈良の法蓮町に居たので。(笑) 作品の中に
その奈良のよく遊びに行ったあたりが
出てきて、ちょっと別の意味でドキドキしながら読んだ。
小説のストーリーとは関係のない、個人的な回想
がやたら浮かんできて、困った。
作品自体はおもしろかった。(ただ、2度読みはしないと思うけど。)
で、俺読みながら感じたんだけど、
小説って、俺、力技だと思うんだ。
何の力が要るか、っていうと、そりゃ、読者をだます力。
読者が、自然にその物語の中に入っていって
物語の登場人物と一緒の場所に下りていくことができなきゃ、
その作品は、失敗だった、と思う。
読み手は、うまくだまされたいんだ。だけど、どこかひとつで
ボロが見つかってしまったら、それはもう失敗。
読者のほうで、作品を読んでて、そんなこと言ったって、、ってそれは?
思わせてしまったら、俺、もうそこでそのの小説は失敗だと思う。
だって推理小説なんてさ、一ヶ所でもそんな破綻があったら、もう
それだけでダメでしょ。
この『鹿男あをによし』だって、現実ではありえない話
なんだけど、その辺、すごくよく書けてる、と思う。
どんどんとパワーで押していって、
読者に「そんなこと言ってもなぁ、、。」
ってつけ入らせる隙を与えない。
最初は、そんなことを、、
って思っていても、もう怒涛の筆力で、
いつか読み手はねじ伏せられてしまっている。
文体が、漱石の『坊ちゃん』を真似してる、
もうちょっと表現を変えると(笑)
下敷きにしてるんだろう。話の骨格だってまぁ、
大学出たてというか(鹿男は院生だけど)が教師になって
赴任した土地でのできごと、っていう似たようなものだし。
文体は、簡潔なムダのないきびきびとした文体。
だから直球勝負で、ぐいぐいと読者の中に文章が
入ってくる。それがとても効果的だ。
どんどん引き込まれていって
面白く感じられた。
ちょっと話はずれるけど
ゲイ小説がおもしろくないのは、ここに
原因があるんじゃないかな。
登場人物同士が、まぁいろいろ動いていって
突然「好きだぜ」とか「セックス」の描写に入ってしまう。
どうしてそうなるんだろう?
物語のストーリーからは
何の伏線もなくて、いきなり好きだぜ、って言われて、、。
キスしあって、、って。読んでいる側としては、
何だこの展開は、はあ?
って聞きたくなるような小説がすごく多い。
人間の感情って、そんなテレビのチャンネルみたいに、
ぱっぱぱっぱと切り替われるものなの?
いきなり唐突な展開があって、、って
その意図がさっぱり分からない。
分からない上に、書く側が、「ゲイ小説だから、
読者もゲイだろうし、その辺わかってくれるよな。」
って安易に考えてたりするのが
透けて見える。
俺、その安易さって、はっきり言って、書く側の甘えだと思う。
この程度書いたらゲイの人ならわかってくれる、
とりあえずセックス書いたらゲイ受けする。
そんな意識が透けて見えてしまって仕方がないもの。
ゲイの人ならわかってもらえて、ノンケさんなら
わかってもらえないようなもの書いてたって仕方ないよ。
ノンケさんが読んだって、ゲイの世界なんてヘンタイじゃないか、
あんなの苦手って思ってても、
この小説でならば、感情移入できる、
人の考え方として共感できる、、っていう作品を
提示しない限り、ゲイの小説の水準が上がる、
ってことはないんじゃないか、って俺は思う。
人間の持ってる普遍的な部分と、ゲイというとんがった
特徴と。このふたつを難しいけれども兼ね備えたものを、
いろんな人が、次々と、継続的に出していかないと、
作品の質がよくなるのを期待するのって難しいんじゃないかなぁ。
ノンケさんの拒絶意識すらねじ伏せられないような小説、
それ以前に、もう小説の最低限必要な力技すら放棄してて、
「ゲイの人なら、わかってくれるだろうし、こんなもんで、ええやろ。」
ではさぁ、、。
こんなだから、いつまで経っても十年一日の如く
同じような作品しか出てこないんだよ。
だって、作者の名前伏せて、はい、これは
だれそれさんの作品です、って分かる? ○○さん
でなければ、っていう何かしらの特徴ってある?
誰の作品だって似たりよったりでしょ?
映画の『ブロークバックマウンテン』にしても、俺、
前に、ゲイのビデオ評論のサイト持ってて、
俺のサイトとリンクしてくださってたマッシヴさんと
話したことあったけど、
あの映画、「どこがいいの? 」って思った。
いくら隔絶された場所でむさい男が二人いたからとて、
何の前触れもなく、いきなりむさぼるようなセックスし合う
あの突拍子のなさは一体なに? って思った。
思わず、あの場面の前後、
俺何度もDVD動かして見てみたけど。
何で唐突にあんなふうなことになるんだろう?
普通に男が二人いて、ゲイならともかく、二人はそんなそぶり
なんてないように描かれていて、いきなりなんでああなるんだろう。
無理がありすぎる。
ゲイの人であの映画ほめてた人が多かったけど、俺は
未だにあの重要な一点で、この映画は、「はぁ?」としか
思えない。 あの映画、ターニングポイントの部分で
監督が逃げたと思う。一番デリケートで
大切な部分を飛ばしてしまった。
俺はそう思う。
ゲイの人はゲイの映画だから、感情移入してて
ひいき目に点を甘くして見てるのかもしれないけど、
冷静に見て、あそこで失敗したな、 って俺は思った。
あの唐突な展開はないだろうよ、って。
あーあ。何だか話が変な方向に行ってしまったので。
話を元に戻して。
鹿男、どうせ奈良はみんな言及するだろうから、
ここも作品中に登場いたしました
場所の写真でも出しましょうかね。
これが伏見稲荷の入り口でございます。
伏見稲荷の名物は、スズメの焼き鳥。
スズメは稲を食べる鳥だから、そのスズメを食べてやる、ということ。(笑)
それといなりずし、とかきつねうどんも名物。(笑)
俺、調べたことないけど、ひょっとして京都市の中で
伏見区だけ、油揚げの消費量が異常に高いんじゃないかしらん。
本殿に入る門。
ご本殿。
それからお話の中にも登場する千本鳥居。
その千本鳥居を上がっていった「四つ辻」という場所にある
俳優の西村和彦さんのご実家「にしむら亭」。
甘酒とかうどんをいただける、おやすみ所。
ドラマの『同窓会』って、もう15年前になっちゃった。
あの時はずいぶんと話題になったねぇ。
実はね、このにしむら亭のあるところ、すごく高い場所に
あるんだよ。
ここから毎日学校に通ってたとのこと。
毎日の登下校、坂の上り下り、大変だったろうなぁ、って思う。
もう自然にトレーニングできてたんじゃないかしらん。(笑)
結局、日曜の座敷ブタ生活で読めたのは2冊半。
座敷ブタだって結構忙しい。
でもおもしろかったからよし、としますか。(笑)
今日は、がんセンターへ。
先週、気になった数値は、毎週測っても意味はないので、
次は来月の半ばにもう一度計測しましょう、という説明。
後は、淡々と前回の採血の説明があった。
もうそろそろ花粉症の季節なので、先生に
そちらの薬も処方していただく。
俺の主治医、肝臓もなんだけど、
元々アレルギーも専門で研究してたそうなので
一度に二つの相談が出来て助かる。
(今日聴いた音楽 カンナ8号線 歌 松任谷由実
1981 アルバム 昨晩お会いしましょう 所収
音源は LPレコード)
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Comments
♪想い出にひかれて
ああ ここまで来たけれども
あの頃のふたりは もうどこにもいない♪
たとえその手段が、
演説でも、手紙でも、昔話でも、
そして小説だったとしても、
他の誰かに伝えたいと願い、
言葉というものの限界を知りながらも、
それでも、丁寧な文章を繰り出そうと、
掌の中で言葉をあたためながら
紡ぐ物語り。
安心してとっぷりとその世界に騙されたなら、
その奥に見える作者の筆に香る色、
そんなものに出会う時、
嬉しいなぁって、
ほんと嬉しいなぁって自分は思うのです。
Posted by: b-minor | 08. 01. 22 AM 11:47
---- b-minor さん
絵にも描かない美しさ、というものがあるのかもしれません(笑)が、それでもできる限りの力で、その光景を自分なりに表現する。文章にしてみる。うーん。悩むことしきりです。自分の文章を見てみて、つくづく日本のサッカーだなぁ、と。 決定力がいまひとつ弱いなぁ、とこのところ、ずっと思っています。とはいいながら、がんばって書こう、としている自分が居たりもするんですが。こんなものより、
b-minor さんの書かれる文章のほうがずっと素敵です。正直俺、そう思っています。いいものはいいです。
物語から受けた印象とか、誰かからもらった手紙とか、それから仲のよかった友達と一緒に行った場所とか、「あのころのまま」でいることはできません。けれども、ああ、そんなことがあったなぁ、って、そうそう、あの本のあの話が、、って思い出したり、読み返したりして、しばらくの間、そのことを想いだしたら、気持ちが穏やかになれますよね。
それでもって、しぼみかけていた自分の気持ちも、いつの間にかすっきりと回復の方向に動き出したりして。後ろ向き、っていうんじゃなくて、心のバックヤードですよね。そんなこと、あんなことの引き出しを一杯持ってる人って、俺も素敵だなぁ、って思います。
b-minor さんもさまざまな物語、また拝見させてくださいね。楽しみにしていますから。
Posted by: 謙介 | 08. 01. 22 PM 7:09