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07. 12. 27

妙心寺・御室 (Sentimental Journey その2)

さて、花園駅からゆるゆると上がってきた道は
下立売(しもたちうり)通りに面した妙心寺の
南総門の前に着く。実は、前にも話したことあるけど
ここには門がふたつある。


ひとつは一般人用の南総門。 
Myoushinji1

もうひとつは
天皇・および天皇の勅使用の勅使門。


Myoushinji2

実は妙心寺の中に入ると分かるのだけど、
お寺の伽藍配置は、南総門ではなくて、
天皇の入る勅使門の延長線上の
縦一線に伽藍が並ぶ、という配置になっている。

先日、ヒシくんとご一緒させていただいた
九州の国立博物館、来年早々の展示が「京の五山展」
だそうで、その予告のポスターがあちこちに
貼ってあったんだけど。
京都五山っていうのは、京都にある臨済宗のお寺を
格付けしていったものなんだ。


第一位が嵐山の天龍寺。二位が同志社の
横にある相国寺三位が祇園にあって、
俺たちの大学の書道の授業の
学外展をよく引き受けてくれていた建仁寺。
この建仁寺に栄西が中国からお茶の木を持って
帰ってきて植えた、のが日本のお茶のはじまりな。
祇園の花街(かがい)の中にあるお寺。) それから四位が
東福寺(ここも紅葉で有名だよね。)
第五位が万寿寺。

これは最終的に足利義満が決めたのだけど
すごく恣意的な並びだなぁ、って思う。
第二位に入ってる相国寺なんて、義満が
この五山を決めたわずか2、3年前にできたばっかり
の寺でさ、格なんていうようなものなんて、
まだこのころは全然なかったものね。だけど
相国寺を足利さんがてこ入れしてたから、そのせいで
入ってる。実際、臨済宗の寺で、ここの5つより
もっと寺格も高くて、力も持っていたはずの
妙心寺も、大徳寺も実は入っていないものね。
まぁね、これはあくまで足利さんの都合がいい
ラインナップで決まった、っていうだけだし。

「都合のいい悪い。」歴史の流れなんて、そんなものだ
もんね。
時の権力者に都合がよかったら、それが主流になるし
都合の悪いものだったら、抹殺されたり、
闇に葬られたりする。
京都五山も、まぁそんな選ばれ方の結果、
っていうところなんだろうね。 


さて、妙心寺。
この日は社葬があったから、妙心寺も結構気は
使ってたみたいね。
だって、めったに開けない南総門、
全開にして開けてたし。
(そう。普通の場合、南総門って滅多にあくことがないんだ。
いつだったか妙心寺の宗務総長が滅多にあけないようにしてる、
って、自分でそう言ってたくらいだし、、。だもんで
いつもは、脇にある、小さい通用口から出入りするから。 自動車は
もうちょっと東にある花園会館の脇の道から出入りするように
なってるから、自動車はこの南総門は原則的に通行しない。)

あのね、最初の謙介の計画では、まず仏殿を見学して
それから法堂(はっとう)の天井の狩野探幽が描いた
龍の天井絵を見て、それから妙心寺の中の塔頭寺院で
退蔵院(たいぞういん)っていうお寺があるんだけど
そこで、国宝の絵を眺めたり、
お庭を眺めながら、お抹茶をいただいて、
のんびりする、という計画だったんだ。ところがところが、その
退蔵さんのある一帯がさーさっきから何度も言ってるように
その降って沸いたような社葬の人で、あふれかえってて
静かにお抹茶をいただく、なんて無理だねぇ、、ということで、
で、やむなく計画変更。 と、いうより、妙心寺の
本坊の法堂でお葬式をしているので、何せこの法堂の
周囲の塔頭寺院も人通りが多くて、落ち着いて
いない感じだったの。計画変更。やれやれ。


妙心寺の中は、本山の妙心寺の本坊と、その周囲に
サテライトのように存在する小さな塔頭寺院で
成り立っている。
でね、妙心寺では、その塔頭の
お寺を呼ぶときは、お寺の名前の下に「さん」づけを
するのが慣わしなんだ。東林院(とうりんいん)だったら、
「東林さん」だし、東海庵だったら「東海さん」っていう
具合に呼ぶ。
妙心寺の塔頭のお寺の中でも「専門道場」を持ってる
お寺がいくつかあってね。専門道場、っていうのは
別の名前で言えば僧堂とも言うんだけど、
お坊さんの卵の修行道場のこと。

この僧堂に何年か行って修行をして、一人前のお坊さんに
なれる、というふうになってる。この僧堂で修行してる
ところが時々、ドキュメンタリー番組なんかになって
放送されることがあるよね。
(座禅組んでるところとか、おかゆを食べてるところとか)
だから逆に言えば僧堂に行ってなければ、一人前の
お坊さんにはなれない。

じゃあ、一人前のお坊さんって何? っていったら
お葬式のときに死者に引導を渡せるお坊さんということ。
もっと分かりやすくいえば、一人前のお坊さんでなければ、
お葬式は主催できないんだ。
だから、見習いのお坊さんだと、死者にお経を上げるときに
行ってお手伝いをすることはできても、それだけ。
妙心寺の山内にはそんなお坊さんのための専門道場を
持ってるような有力な塔頭が何か寺かある。
前にも話したけど、霊雲院とか、東海庵とか。
で、こういう専門道場で若い坊さんの指導をする住職は
自然、学識だってすぐれた方だから、こうした有力な
塔頭寺院の住職が、選ばれて妙心寺派のトップである
管長になる、ということだってある。


まぁそれはともかく。
何せ本坊の周囲がざわざわとしているので、
落ち着いた場所を求めて、北のほうにどんどん
進んでいった。 途中霊雲院の前で、
「ここが、時代劇なんかで、よく使われるんです。」
という説明をする。お女中が歩いていると松の木の
陰から、怪しい侍が出てきて、お女中を
襲おうとする。ね、そんなシチュエーションの
場所でしょ、とか。(笑) それから、さらに北に。
やがて北総門が見えて、その向こうに衣笠山が
見えてくる。さすがに北門周辺は、静かな感じ。
ただ、これで簡単に妙心寺を抜けてしまうのも、
なんだかなぁ、、っていうことで、そこから東にいって
妙心寺の山内をもう少し散歩しよう、という
ことになる。


その間、yasuくんとは歌舞伎の話にはじまって、
いろいろな話をした。
こないだ、俺がブログで九州はいい。九州はいい、
と力説してしまったもので、彼は来年の2月、
博多座に歌舞伎を観に行く、という話をしてくれた。
今回の博多座は若手の花形歌舞伎。何かとお騒がせの
獅童なんかも出るの。(笑) お騒がせといえば
来年のこんぴら大歌舞伎は成田屋(海老蔵)が
仕切らはるんですよー。 っていう話をしたり、、。

yasuくんは歌舞伎のこともだけど
伝統芸能に詳しいので、こちらも話していて、とても
楽しかったし、こちらのことを一々説明なんてしなくても
さっと分かってくれるので、とても楽だった。
そうして、妙心寺をあちこち歩いて、
再び北総門のところに戻る。
ここで門を出る。目の前の通りが一条通。
そう。これが平安京の一条通。
この一条通を西に向かって歩く。
道は、かすかな傾斜を持ちながら
御室の仁和寺の前へと続いている。

                      (つづく)


(今日聴いた音楽 キースジャレット ケルン・コンサートから
 パート1 1975年1月24日演奏)

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