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07. 12. 05

海峡の街で (西への旅;その1)

Kanmon


写真は門司港から見た海峡の風景。
対岸は山口県の下関市。
下関の「関」と門司の「門」の
一字ずつを取って、関門海峡。
写っている橋は関門橋。


別の言い方をするなら、
ここは源平の合戦の行われた壇ノ浦。
そう、この場所で源氏と平家は戦って、
安徳天皇以下、平家の人びとは
海の底へ消えた。


それから、この写真には写ってはいないけれど
もうちょっと左に眼を向けると平べったい島が見える。
ここが巌流島。
あの宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った島。 
巌流島と壇ノ浦って、実はすぐ近く。

どうしても出なくてはいけない会議があって、
福岡に出張することになった。
俺は迷わず高速艇で九州に渡ることにした。

Seamax


高速艇だと、九州上陸は門司港。
乗っていた高速艇が門司の港に接岸して、
桟橋に降り立って、俺はしばらく風に吹かれて
この海をじっと眺めていた。

俺の母方の祖父は船乗りだった。
この対岸の下関と釜山を結んでいた
国鉄の関釜連絡船の一等航海士だった。
だから、この海は、俺の中では、
じいちゃんの仕事場の海。
祖父は、まだ働き盛りのときに、
米軍機の空襲を受けて船と運命をともにした。
だからじいちゃんは俺が生まれるはるか前になくなり
じいちゃんのことはほとんど知らずに育った。

だけど、
そのじいちゃんの血は、俺という人間につながっていて
そのじいちゃんの孫は、今、こうしてじいちゃんがかつて暮らした
下関の対岸の街に立っている。
じいちゃんがいなかったら、当然、今の俺、という存在も
ない。 じいちゃんと俺をつなぐ記憶の糸こそ細いけれど、
命の糸は、こうして確実に俺へとつながっている。


下関の街はすっかり変わってしまって
かつてじいちゃんが生活していたころの面影は
いまやほとんど残っていないだろう。
でも、人や街並みは変わったとしても、背後の山の風景は
おそらくあのころのまま、だろうと思う。
それから、門司の街。
ここは昭和のはじめの街並みがそこかしこに
残っている。おそらくじいちゃんが眺めたんじゃないかな、
と思う建物もまだたくさんある。


Jrkyushu

1920年代のアメリカの建築様式の影響が残る
上の写真のビルは、元は○井物産の門司支店として
建てられたものだとか。できた時は関門で一番の
高層建築だった、とのこと。
大陸への玄関口、九州の玄関として
この地にこんな大きなビルを建てた、という
意志がはっきり伺えるような気がする。
戦後財閥解体でこのビルは、国鉄が買い取って
つい先年まで、JR九州のビルとして使われて
いたらしい。

Osakashosen

赤レンガの旧大阪商船門司支店の建物


Nttmoji

門司電信電話局の建物。この建築は大正時代の末だそう。


Mojicastum

門司税関

こんな建物がまだできてピカピカのころ、
じいちゃんは、見たかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は予定の電車が
来るまでのしばらくの間、
この街を、少し歩いてみた。
そんなふうに思うと、自分の中でなかなか
像を結ぶことができないじいちゃんのことも
なんとなく少し、分かったような気がするから
不思議だ。(笑)

俺はこの街へ来たかったのだ。
そしてこの海峡を見てみたかったのだ。


じっと海を眺めていると、
潮風に乗ってかもめが一羽
対岸の下関へ渡っていった。

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