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07. 10. 31

かんちゃんのこと(その12)

親戚の人だろうか。何人かも中年の女の人が
ハンカチを持ってすすり泣いていた。 ガランとした
空間に、その声は意外に響いた。

完一は黙ってその人たちから少し離れた場所に
立った。 さっき会葬のあいさつをしていた俊之の
父と一目で彼の母親とわかる両親が、最後に棺に
向かって泣きながら語りかけているのが見えた。


「それでは。」 グレーの作業着の男が、棺を
押してかまの中に入れて、ドアをきっちりと閉めた。
スイッチが入り、中でゴオッという音がした。


完一は大きなため息をひとつつくと、ゆっくりと
そこから離れた。不思議なことに涙は出なかった。
けれども彼は何も考える気にはなれなかった。
さっき、俊之のオバサンに、「かんちゃん、俊クンも
喜ぶと思うから、最期まで見届けてやってね。」
と頼まれて、完一は「いいえ。」とも言えず、
何となくここまで来てしまったのだった。
でも、俺なんかが、こんなところに来てしまって........
と完一は思っていた。

「浅間さん」 完一は、この間までのように心の中で
呼びかけてみた。でも、なぜか、あれほど俊之といた
はずなのに、完一の中には、俊之の顔の表情が
全く浮かんではこなかった。
そして、完一の呼んだ声は、深い闇の中へと
吸い込まれていってしまい、それっきりだった。


完一は外に出た。
厚ぼったい雲が、だんだんに空一面に拡がり、
そのわずかの隙間から、スポットライトのような
光の帯が、遠くのビル群のほうに向かって伸びていた。
そして、その手前の煙突から、薄くぼんやりとした
煙が、ゆるゆると空に立ち上っていくのが見えた。

俊之が亡くなってから、完一は以前のように
自分の感情を外に出す、ということをあまり
しなくなった。
彼は、先生たちの奔走のおかげで、学内の
奨学金をもらって、この学校に残れることに
なったことが決定した時も、それを話してくれた
神父の声を、何だか遠い、自分に関係のない
世界のできごとのように聞いていた。

走っていても、授業を受けていても、 自分が
そうしている、という感覚が持てなくなってしまったのだ。
そして、部活もしばらく休部させて欲しいと申し出て
とりあえず、1年の終わりまで休む、ということで
受理された。

あの事件があってから、彼はしばらく何も手につかなかった。
走ろうとしても、力が入らない。
あれほど走るのが好きだった自分なのに、
走ろう、という気が全く湧いてこなかった。
いや、走ろう、という意志だけではない気がした。
食べること、笑うこと、何かに集中しようとすること
完一はそんな今まで何の注意も払ってこなかったことを
するだけなのに、そうしたことが全くできなかった。
何もしたくないのだ。
原因は、分かっている。


俊之のお葬式が終わってしばらく、
完一は浅間さんのことを考えようとすることをできるだけ避けた。
何かの拍子に俊之のことを思ったり考えそうになると
完一は、首を振って、それから逃れようとした。

しかし、どうしようもなかった。
気がつくと俊之のことばかり考えている自分がいた。
いくら考えても、いくら思っても、浅間さんがもう一度俺の前に
現れてくれることはないのに、
そのことは十分すぎるくらい分かっているはずなのに、
完一は俊之のことを考えずにはいられなかった。

日が経つにつれて、完一の中で俊之の存在は
どんどん大きくなっていった。
「あまりに突然で、あまりに早すぎだよ、
俺、浅間さんに何も言ってなかったじゃないか。」
そんなふうに思っていると、
完一に接してくる、現実のいろいろなもの全てが
うっとうしくわずらわしいもののように彼には思えた。
何で、一々かかわってくるんだよ! 
彼はそんなことで今度はいらついたりもした。

そんな中でも歳月は確実に過ぎていっていた。
夏から秋に、秋から冬に。
そうしてまた新しい年がやってきて
冬は少しずつ春へと装いを変えていった。


4月。 完一は2年生になった。 クラス替えもあって、
新しい教室へと移動した。 今度の教室は、窓から
グラウンドが一望のもとに見渡せた。
そのグラウンドを見ながら、彼は、何度か『もう一度、
走ってみようかな。』と、何度か思ったりした。


彼は毎日、授業の終わった後、グラウンドをちらっ、と
見やるのだった。 野球部とサッカー部が半分ずつ
使う日。ハンドボールの日。ラグビー部が使う日。
グラウンドは、その日その日の競技によって、さまざまに
表情を変えていった。 けれども陸上部の練習の日は
グラウンドを全く見ようともせず、さっさと寮に帰った。


やがて入学式もあって、新入生が入ってきて、
また少し学校は変化をしていた。
授業が終わって、カバンを持って立ち上がった時、
完一は偶然外を見てしまった。 その日はもともと
サッカー部の日だったが、変更があって、陸上部が使って
いた。 グラウンドの中では、去年の完一のように
新しく入った1年が、上級生に指示されながら
フェンスやウレタンマットを動かしていた。 そうして
トラックでは、2年や3年の連中が、ストレッチを
はじめていた。
「ふぅ。」 完一はため息が出た。
「あれ? 」 後ろで急に声がした。 今年から同じクラスに
なった新村という奴だった。
「部活は? 」
「うん。」
「今日は休むのか? 」
「--------」完一は何も言わなかった。
「まあな。そんな日もあるよな。俺もさぁ......」
「いや。これから行くところ。」 彼はそう言うと、
弾かれたように、教室を出た.......。


彼はまた再び自分の力で歩くことをはじめたのだった。


                       (つづく)

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