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07. 07. 04

言葉の重さと軽さ

院生だった時に、言語学の授業の後で友達がポツンとこう言った。
「謙介さ、ワタシ、国文で良かったわ。 ボクは、の「は」を「が」と間違えた
からって、命の生き死に直接関係することもないし、、。」
って。
まぁその時の俺も、「お医者さんが手術で、あ、処置間違えて
失敗してしもうたわ。なんて言ったら、人間の命に直接かかわるけど、
まぁ助詞のつけ方間違えたからって人間死んだりしないものね。」なんて
言ったりしてたんだけどさ。


だけど、俺、途中から考えを改めたの。「言葉でも人は殺せる。だから言葉遣いは
よほど慎重にしなくちゃなんない。」って。

それを改めて思ったのが、昨日辞任した防衛大臣だった人のあの発言。
あの「原爆投下は、、。」っていうやつ。


このブログで政治的な解説とか辞任の背景とか、そんな話をしようとは
思わない。そんなのは、政治感覚の鋭い管理人さんが書いてるブログがたくさんあるし
その言った言葉だけでなくてもっと拡げて辞任の背景とか、国際情勢とか、
近い選挙なんかとも絡めて、おもしろく、しかも丁寧に説明してくれている
ブログだってあるしさ。
そういう政治的な話は、そちらにお任せしたいと思う。
(俺ね、政治って、そりゃ選挙の投票には行くんだけど、あんまり、
というかほとんど関心がないの。そうだ、謙介がそういうことになった説明はまた
明日にでも話をしようかな。


このブログで俺は、そのQ間さんの言った言葉について考えてみよう、って思う。
これならできるさ。(笑)


そんなもの、今日だって早速アメリカの核担当の高官が、
原爆投下は、第二次世界大戦を早期に終結させるための
手段だった、とか言ってるし。アメリカなんか、そういう政治家の
発言はものすごく敏感だから、あっという間に言葉尻をつかまれて
下手な理屈をこねる材料に使われてしまう。
そんなことって、閣僚なら常識以前の問題でしょ?

それから、あの広島と長崎で亡くなった方々とか、
かろうじて生き残られはしたけど今も、言葉にできないようなしんどい
後遺症で苦しんでいる人たちが、
「原爆の投下が仕方がなかった」なんて
言われたらどう思うのか? 全然気がつかなかったんだろうね。

Q間さんの言った「しようがなかった」、とか、「仕方がなかった。」
っていうのはさ、「どっちだっていいけど、ま、他に積極的な
方法とか手段もないから。そうでもするかねぇ、、。」ていうことだよね。

あんたたちの遭ったことは、その程度のことなんだ、って
言った、ってことでしょ?
「その程度のことだった。」っていうのを別の言い方をしたらさ、
「大して意味のない死に方とか災難だったんだよ。」っていう意味を突きつけてるのと
同じじゃない?

だって「仕方がない」っていうのは、ほかに積極的な手段がないし、
選択方法も見つからないから、その程度で措くか。」っていうことなんだから。


だからあんたたちの死はその程度の死でしかない、となったら、言われた遺族とか
今なお苦しんでいる人にとって「そんなのは犬死」って、言われたらどう思うか、
あの人の言った言葉って、そういうことじゃない?


俺、何度も言ったけどさ、がんセンターに毎週通院しているから、
同室だった人や、それまで病棟でよく見かけていたはずの人が
ある日突然、亡くなってしまった、なんていう状況を、何度も経験してきた。
人が亡くなるのはどういうことか、残された人はどんなふうな悲しみがあるか
少しは考えてきた、とは自分でも思ってるんだ。これでもね。


人の命は重い。
そんな重いはずの人の命が、それも途方もない多くの命が一瞬にして
消えてしまって、今なお苦しんでいる人がいて。
そうした事実を、厳粛な事実を、あの「仕方がない」という言葉は、急転直下
「大して意味のない死だったのさ。」という意味に変えてしまった。


それから「仕方がない」って、何て人を見下したような言葉だろう、って思う。
いかにも軍隊の元締めでさ、こっちの人員をここに移して、とか
あっちの人員をここに持ってきて、、なんて人間をゲームの材料か、
将棋の駒、っていうふうにしか人間を見てはいないぞ、っていう
意識からつい出てしまったような言葉じゃないか、って思う。
日ごろのこの政治家の人に対する意識、っていうのか、歴史観、っていうのか
そういうものが見事に露呈しちゃった、っていうことなんじゃないかなぁ。
話を聞いてると「仕方がない」って、Q間さんって、あの人、「しようがない」っていうの
口癖の言葉だったみたいだね。いつも「仕方がない。」って言ってたみたい。だから原爆だって
その延長で「仕方がない」って、言ったんだよね。


で、恐らく、これは俺の予想だけど、言ったあの本人の心の中では
「仕方がない」と言ったことが、なぜいけないのか、ということが
心にしみて本心からは全然分かっていない、んじゃないか、って想像する。
「とりあえず選挙も近いし、年金問題でごたごただし、これ以上さらにごたごた
したら、選挙の結果に響く」なんて思って、さっと辞めた、っていうことでしょ。
間に合わせで、文字通りのくさいものには蓋、でしかないものね。


だけど「仕方がない」っていう表現で、あの人は、戦争で犠牲になった人を
もう一度殺したんだ。
これが言葉による殺人でなくて一体何だろう。

いろいろなタイプの人がいる。
分かりやすく話をする人。
いっぱいぺらぺら話はするんだけど、そのくせ言ってる言葉に
真実味とか誠実さがあまり感じられない、って言う人。
言葉はあまりないけれども、ちゃんと仕事はやっていて、
仕事ぶりがとても誠実な人。
人によって自分の考えが違ってて、一体この人の本心は
どこにあるのか分かんない人。
「話」っていうことだけをキーワードにしてみても
いろいろな人のタイプが浮かんでくるよね。


時々俺、近所のスーパーなんかに行くんだけど
そうしたら、母親らしき人が子どもに注意したりしてるのを見るの。
「だからいつも言ってるでしょ。」なんて言ってる。

まぁね、俺、その人の「日常」は知らないから、口幅ったいことは
言えないけど。
子どもって、口で言って注意したら、その状態が変わる、って
その親は思ってるのかねぇ。
俺、自分の姪とか甥を預かって世話してたことがあったけど、
子どもなんて○○しちゃダメです、って口で言っても
分かりはしません、って。
口で言って、こちらがやってみせて、(「ほらね。」とか言いながら)
また一緒に何度も何度もやって、そうやってようやく独りでできるかな、
っていうところまで来て、、っていうようなものじゃないかな。
注意だって、何度も何度も失敗したり叱られたりしながら、
あ、これはよくないことなんだ、って少しずつ本人の意識の中に
定着していくようなものだ、って思うんだ。

そんな、何度か繰り返して注意したぐらいで、きくようになんか
なりますかいな。(笑) 

だって、みんなだってさ、一度注意されただけで素直に「はい。」
って聞けた? 俺だけかなぁ。何度も何度も注意されて、、っていう
出来の悪いのって。(笑) え? いい歳した大人になったのに
いまだに変なことしちゃう、って?
ほらぁ、そんな注意なんて少々されたって、人間変わったりしません。
なのに、母親は「ホラ、ちゃんと言ったでしょ。」と怒って言う。


言葉の重さ、軽さってあるように思う。
言葉をいっぱい、ぺらぺら言いはするけど、その人の内実っていうのが、
感じられないっていうのもあるよね。
「感動した」とか「良かった」とか一応感想は言ってるみたいなんだけど
それが内面から湧き上がってくるようなものじゃなくて
口先だけで「感動した」って一応言ってるだけ、っていうようなの。
だからこちらに「その人」が全然伝わってこない。
紅白の司会やってた○居くんみたいな言い方。
だからそういう人の言葉って、結局すごく軽くて、いっぱいしゃべってるのに
何にも後、残らない。

みんなだってよく言うじゃないか。
「あいつ、また言ってる。」って。
ほら、ね。 そう。「また言ってる。」なの。「また」なんだよ。
そういう人って、いつもぺらぺらしゃべっていて、加えてその人の感情とか気持ち、
それから言うだけのことをちゃんとやってます、っていう部分が
あんまり見えてこないから、言葉だけ空虚に浮かんでるように思われて、
それでその言葉まですっかり「軽く」感じられてしまって、、っていうふうになっているんだと思う。
だから言葉に全然裏づけがないから、結果的に重みとか信頼性が感じられない。
言ってるけど誰も注意して聞かない。


言葉って、そういう意味では、本当にその人を投影している部分が
確かにあるなぁ、って思うんだ。
その「人」が出るものね。


(今日聴いた音楽 松任谷由実歌 真珠のピアス
 アルバムPEARL PIERCE 1982年所収 )

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Comments

ごつごつと硬い頑固な言葉が、
必ずしもつらいものだとは限らない。
ふんわりと耳に柔らかい言葉が、
必ずしもやさしいものだとは限らない。
何かを伝えようとして
喉から放たれた言の葉という空気の震え。
それはもう、言葉を発した人のものなのか、
その言葉を聞き取る人のものなのか、
そんなことちっともわからないままに、
わたしは、こうやって
言葉を探して、見つけ、拾っています。
こちらのブログでも、
謙介さんの紡ぐ言葉を読ませてもらいながら、
その穏やかな語り口なのに
時にはとっても刺激的だったりして、
ほんとうに毎回楽しみにしています。
言葉って、
難しくて簡単で易しくて複雑で
付き合って行くのたいへんだけれども、
やっぱり言葉が好きなんですよね、すごく。

Posted by: b-minor | 07. 07. 05 at 오후 1:03

長崎県民は原爆という言葉にとても敏感で、軽視できない問題なんだと、被爆者の声を取り上げるテレビ報道を見ている限りでは、そう捉えがちですよね。

でも、今回のことのように長崎出身の人でもいろいろな捉え方があります。許せる許せないは別問題ですけどね。

原子爆弾を使用すること、保有することはいけないことだと、たぶん世界中の誰もが知っていることだとは思います。ただ、それを肝に銘じているかはそれぞれの人次第・国次第でしょうね。
生きたいと切に願う人が、冗談でも死にたいって言うのかな…?と思うのです。

私も結局はその人の「人となり」の問題ということなんだと思っています。出身地、地位など、元大臣はどのようにふるまうかを問われる立場にいたことは間違いなかったのですが、それを全然感じていなかったように見えました。

Posted by: ヒシ | 07. 07. 05 at 오후 7:56

----b-minorさん
正直なことを言いますと、この日の文章を書きながら、言行不一致じゃないか、って思ったりもしたんです。あれこれ多弁になって、却って言葉足らずだったり、中身がなかったりして、本当にそれでいいのか、なんてやはり思いました。実は反省もしたんです。(それをもって、お返事が遅れたことの言い訳にしてはいけないんですけどね。)そんなことで時々、周囲の人に誤解を与えてしまったりすることもあって、ああ、言い方って難しい、って思うこともあるのですが、やっぱりb-minorさんと同じで、付き合っていくのは難しいですが、言葉が好きなんだと思います。
お話、すごくよく分かりましたよ。

Posted by: 謙介 | 07. 07. 05 at 오후 8:54

----ヒシさん
そうですね。今日の文章で、政治参加、っていうことを書きました。ある人は積極的に政治に参加して意見を言う、そういう人もいますし、そういう積極的に意見を言うことをよし、としない人もいます。韓国に居たときにも、日本人である俺にとても気を配ってやさしく接してくれた人もいれば、反日ということをいつも言って俺を毛嫌いしていた人もいました。いろいろな人がいて、いろいろな意見があって、決して一つにくくってしまうことはできない、本当にその通りですよね。
 あの辞めた方って、今回のこともそうですけど、それ以前から、何だか「?」っていうようなコメントが多くなかったですか? そういうことも含めて、この立場にいる自分が、コメントを出すと、どういうことになるのか、ということが分かっていなかった、っていうことでしょうかね。うーん。何か真意をつかみかねるような発言が多くて、ちょっと分からないことが多かったです。今もよく分からない、ところがあります。

Posted by: 謙介 | 07. 07. 05 at 오후 9:03

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