1,000
実は、この月曜のことだったんだけど、
この「終着までは、何哩? 」のブログのエントリーが200になった。
その前の、というか今もあるんだけど、サイトの
「百の扉 千の出会いは一本の道」の雑感の文章をずっと書いていてそちらが、804あったから、
両方で合計すると、1000を越えた、ということになった。
1000エントリーを記念して、このブログのタイトルの説明を
ちょこっとしておこうと思う。
実は「終着までは、何哩? 」のタイトルなんだけど、
これは、東由多可(ひがしゆたか)さん、っていう人の作った
ミュージカルの脚本からいただいたものなんだ。
東さん、っていう人は、以前、東京キッドブラザース、っていう
ミュージカル劇団を主宰していた。もうちょっと詳しく言うと、
それ以前に寺山修司さんのやってた「天井桟敷」から、
何人かの団員が抜けて新しい劇団を作った。
それが東京キッドブラザースだった。
だって天井桟敷じゃミュージカルなんてやれなかったもん。
それで、東さんは、新しいスタイルの芝居、っていうことで
ミュージカルの手法をどんどん取り入れて、実験的な芝居をどんどん作った。
その頃俺は、京都にいたんだけど、まぁ大阪だって近いから、
よく東京キッドの芝居は見に行った。
最初に見たのは「街のメロス」っていう作品だったかな。
東京キッドっていうと、柴田恭兵がいた劇団、っていうと
分かってもらえるだろうか。
だけど、東京キッドの芝居を見てて、俺、いつも不思議に思うことがあったんだ。
それは、何か、っていうと東京キッドの芝居って、いつも
「愛と希望と友情の物語」だった。 もうねぇ、はんこで押したみたいに、
愛と友情のテーマが毎回。(笑)
友達と一緒に見に行ってて、「東京キッドの芝居って、何で
いつもまぁ飽きずに愛と友情なんやろねぇ、、。」とか言ってたの。
まぁそのときは、そんな話で済んだのだけど、それから何年か経って
就職した街で、たまたまミュージカルの公演があって、
田舎に来てたから、あんまり芝居を見に行く、なんていうことは
しなくなってたけど、ついその公演のポスターがかっこよかった(笑)ので
たまたま見に行ったの。そしたら、知り合いが同じ芝居を見に来ていて
彼がこの芝居の演出をしてる人を知ってる、っていうんで
芝居の公演が終わってしばらくして話をする機会を設けてくれた。
そうしたら、その演出してた人が、元は寺山さんの天井桟敷にいて、
それから東京キッドに移った人だった、っていうことだったんだ。
さて、それでその時にいろいろな話で盛り上がってしまって
俺は気がついたら、その劇団のお手伝いをする、というお役目を
お引き受けしてしまっていた、と。(笑)
それから何年か経って、東京キッドの地方公演が
そのころ俺の住んでいた街であることになってね。
俺も、その公演のお手伝いに行くことになった。
あのころキッドの女優兼庶務係だった北村易子さんから、うちに連絡があって
手伝ってね、ということになった。それでまぁお手伝いをした。
で、そのとき当然演出担当の東さんともお話をする、
という機会があってね。
そこで、あのころ、友達といつも不思議に思っていた、
「どうして東京キッドの芝居って、愛と友情の物語なのか?」 という
問いを演出者に直接ぶつけてみたんだ。
まさか、長年の懸案事項を、本人に直接お聞きできるとは
思ってもいなかったけど。
そうしたら、結構根源的な話を東さんはしてくれた。
と、いうのが、東さんは子どものころ、家庭的に恵まれなかった。
子どもたちは学校が終わって家に帰って外で遊ぶ。
だけど、夕方がきて母親が「○○ちゃーん、帰っておいで。」
ってお迎えに来る。そうして友達は一人また一人と家に帰っていった、。
東少年は、その友達が一人、また一人と帰っていくのがたまらなく
寂しかったんだそうな。
それで、いつまでも遊び続けられる、劇団を作りたかった、と。
だから「東京 キッド ブラザース」という劇団名にしたんだ、と。
それで、友達同士が離れ離れになるのはつらいから、
愛と希望と友情がボクの芝居のテーマになったんですよ。」
という話をしてもらった。
東京キッドの役者さんを探すときも、寂しそうな目をした
奴を選んで取ったんです、という話もしてくれた。
水産会社のサラリーマンやってた奴なんだけど、
雀荘に入り浸っていて、家に帰れない。
だけど、それはマージャンが好き、というより
人と別れるのが寂しいから、雀荘にいた、
それがね柴田恭兵だったんです。
彼の目もそんな寂しげでした。
そんなお話もあった。
それで東京キッド、だったんですね。
だから愛と希望と友情の物語だったんですね。
俺はそういう意味を知った。
その前後だったかな。「終着までは、何マイル?」
の脚本を見せてもらったのは。
結局それがどうなったかは分からない。
それから何年か経って、東さんは亡くなってしまった。
東さんはだからとても寂しがり屋さんで、
いつも近くに誰かいて支えてくれないといけない人だった。
そうした支えをずっとしていたのが、今は作家になっちゃったけど
当時は東京キッドの女優だった柳美里さん。
彼女の小説、「命」は、そんな東さんとつきあいのことがずっと書かれている。
映画にもなったし。
だけどその東さんの役をしたのがトヨエツでさぁ、
これは、実際の東さんと「全然違いすぎるやないか。」(笑)
思わず、うそつけコラ、って思った。
やがて東さんは病気が悪化して亡くなった。
そうして東さんの死後、東京キッドブラザースは解散した。
ブログというよりサイトを始めた最初の目的っていうのは
パートナーが見つかったらいいな、ということだった。
だけど、そうこうしているうちに俺の病気もひどくなってきたし
そういう誰かいたらいいなぁ、ということは、もうあきらめた。
その代わり、友達ができていろいろなことが話すことが
できたら、、、、と方向転換をした。
体調もあまり無理が利かないので、サイトにかえて
ブログで文章を書く、ということにした。
そんな東さんの言ってた
「友達への思い」っていうものが、その脚本にもあった。
このブログのタイトルをこれにしたのは、
そんな気持ちを受け継ぐ意味もあって、そのタイトルをいただいた、
ということなんだ。(そのころはサイトの中の日記、という文章で
書いていたんだけど。)
しかし、よくもまぁ持ったというか、続いたというか。(笑)
前にもお話したのだけど、俺のサイト・ブログは
本当に地味に隠れ家みたいにやっているものなので
よそのサイトに行ってもあんまり宣伝をしないし、
ほかのところとリンクもあまりしていない。
こんなブログですが、
よろしければ これからも
お付き合いをしてやってくださいね。
よろしくおねがいします。
(今日聴いた曲 ダンスはうまく踊れない 歌井上陽水
1984 アルバム 9.5カラット所収 音源はLPレコード)
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Comments
1000ですか。星新一さんのショートショートを超える日も近いですね。(笑)これからも、楽しみにしています。
Posted by: rhino | 07. 06. 29 AM 1:20
-----rhinoさん
なんだか気がついたら、そういうことになっていました。(笑)読んでいただくと分かりますが、ずいぶんと内容が重複してる部分もあって、また書いてる、、とお思いの個所もあろうかと思います。本人は、あ、これあのときに書いた、ということで気づいてはいるんですけどね。前の時とはテーマが別だし、、。って 思って(笑)書いていっています。これからもどうかよろしくお願いします。
Posted by: 謙介 | 07. 06. 29 AM 6:02