双が岡
妙心寺近辺の話 その2.
今日の話は双が岡。
京都駅の一番端っこに古い車両ばかりが出入りするプラットホームがあった。
今は電化されたけれども、JRの嵯峨野線って、以前はディーゼルカーとか、
ディーゼル機関車に連結された客車がのろのろと走る路線だった。
JRになってから、オシャレな線名にしなくっちゃ、っていうんで、JR西日本って
従来の路線名を変えた。大阪の片町線が学研都市線とか、園部までの山陰線を
嵯峨野線とか。いくら嵯峨野線なんて名前だけオシャレにしても、使われている
車両は最悪。
同じ京都駅を発着するのでも、東海道線はいつも最新の車両だ。
けど、奈良線とか、山陰線なんて、もうあっちこっちの路線を走ってきて、
ほかに使うところがない、やれやれしょうがないわという車両ばっかりが
走ってる。
そう、いま俺は、「走ってた。」じゃなくて、走って「る」と書いた。
だって今もそうだからね。
確かに電化はして電車が走るようにはなったけど、
その電車があまりに古くて、しょっちゅうモーターが故障しては電車が止まる。
お客さんが乗りすぎて、電車が動かなくなった、。今もこんなことが頻繁に
起こっているのだとか。
特急も走ってはいるけど、よその線区を走って、散々使いまわされたものが、
電車の塗装の色だけ変えて、ガタガタと走っている。 そんな路線。
京都駅の嵯峨野線の反対側のホームには関空行きの特急「はるか」が発着する。
はるかは、速度も出るし車両だって美しい。片方は、速度は出ない、途中で止まる。
やれやれ。(笑) まったく。なんとかして欲しい。
嵯峨野線の沿線、園部に住む俺の恩師もよくそんなことを言っている。
山陰線は、バイトに通うのによく使っていた。毎週末、その園部の先生のところに
頼まれた用事で行くことがあって、その関係で山陰線はよく乗った。
あの頃はまだ駅も少なくて、花園の次は嵯峨までなかった。(今は途中に太秦駅が
できたけど)あの頃は、だから自転車で常盤から花園駅まで行って、ここから汽車に乗った。
京都駅を出た嵯峨野線の電車は、駅構内のポイントを
ぐーらぐら揺れながら通過すると、今度はきーんきーん、ぎぎぎぎ、と
車輪のこする音を立てながら、次第に右にカーブしながら高架線に入る。
ちょうど梅小路の蒸気機関車館をはさんで三角になった一辺を走る、という感じになる。
梅小路の蒸気機関車館、その昔の梅小路機関区なんだけど、太平洋戦争中
アメリカ軍は、京都も原爆投下都市のひとつに決めていて、この梅小路の機関区が
その投下目標だったとのこと。広島と同じく京都って盆地だから、爆弾の効果が
ある、といわれてその投下予定都市の中に入っていたとのこと。
そういう場所でもある。
以前は、二条の手前で高架が終わって、後はずっと平地を走っていたのだけど、
今は花園駅を過ぎたところで、平地に降りている。
だから以前は二条 花園は平地の駅だったのだけど、今は高架。
二条も地下鉄が通って、ちょっと人の流れが変わった感じがする。
地下鉄ができて二条で乗り降りする人の数が飛躍的に増えた、ように思う。
俺が京都にいた頃の二条駅は今その梅小路の蒸気機関車館に移築されてる。

それから二条と花園の間、西大路通りをまたぐところに円町駅が新設された。
電車は円町を出るとあんまり加速せずにほとんど惰性で走って、そのまま
花園駅のホームに入る。
以前は、花園駅のあたりは高架じゃなかったから、ホームを降りても
平地だったし、駅も平地にあったので、前の丸太町通り
沿いの駅前の店しか見えなかったのだけど
今は高架になったために、ちょっとばかり見晴らしがよくなった。

これはそのJRの嵯峨野線、花園駅のホームから北西方向を撮ったもの。
そうして、花園駅から北西を見ると、三つの岡がぽんぽんぽんと並んで
いるのがビルや家の間から見える。
これが双が岡。
この写真で言うと、ちょうど真ん中のお山のふもとあたりに
兼好さんが住んでいたらしい。
ちょっとこの写真は分かりにくいのだけど。実はこの写真
双が岡とその手前の小さな岡が二重に写ってる。
(分かりにくい写真でごめんね。)
そうそう。吉田兼好さんはこの丘のふもとに住んでいたんだ。
それから一番右の端のお山のふもとが「御室」(おむろ)
電気の会社で「オムロ○」っていう会社はこの御室でできたから
オムロ○。そう考えると、なんてベタな名前なんだろう、って思う。(笑)
平安時代は、この双が岡を境にして、この岡の向こう側以西を嵯峨野と呼んでた。
この写真で言うと、この岡の向こう側、見えていない側が嵯峨野の入り口だった、と。
今は、嵯峨野、って言うと、もっともっと西の広沢の池から西、のあたり、っていうふうに
イメージとしてあるけど、平安時代はもうこの双が岡から西は
ぜーんぶ嵯峨野、っていうことだったらしい。
まぁねぇ。双が岡以西って言ったって、今じゃ常盤のあたりはファミレスはあるし、マーケットとか
商店街とかだってあるし、ちょっと下がったら太秦の映画村だって
あるし。嵯峨野って言ったって、常盤とか太秦は普通の市街地なんだけどね。
それでもさすがにもっと西に行って、広沢の池の辺になると
古都保存法とか風致地区の規制条例とか
の区域になるから、そういう現代的な建物はあかんよ、
ということになってはいるんだけど。
でも俺が住んでいた頃の常盤だって、養鶏場があってね、そこに卵を買いに行ったり
するような田舎やったもの。今の丸太町沿いの場所にそんな養鶏場があったの。
今の状態を考えたら、もう信じられない、っていうようなものだけど。
だからこの双が岡を越えたら、いよいよほんとに京都も外、ということだったんだね。
その境がこの岡ということになる。
緩やかな、柔らかな形の岡がみっつあるのがすごく印象的だよね。
常盤に住んでたときは、毎日この岡が見えた。
もちろん何度も一人だったり、友達とだったりで上ったこともある。
俺は、この岡を見ると、ほっとして気持ちが和らぐんだ。
何かやっぱりこの双が岡って俺にとっては
ふるさと、っていう場所なんだなぁ、って改めて思ったのだった。
昨日、ここの聴いた音楽 ランパルさんが志度音楽ホールで演奏したのを
書いたのだけど、今日姉からメールで、その音楽ホールのちょっと向うの
野外ホールで 来月の7日平井堅がコンサートするんだってさ。
チケット、申し込みに当たる当たらない以前に、主治医からこんこんと
白血球の数値がずいぶん低いから、人ごみへ行くのは禁止、と
言われているので、申し込み自体を泣く泣くあきらめました、とさ。
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