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07. 05. 09

5月2日に考えた生きる原動力のことなど。

5月2日のこと。

ホントは仕事のある日だったのだけど、1日、2日の両日、実家で電気と電話の工事がある、
というので立ち会ってください、ということで仕事を休んで家にいた。
身体も休めたかったし。
そうしたら仕事場にいる同僚から、メールがきた。
「今日の○売新聞見た?」とある。
「みてなーい。」
「バアサン出てるぞ。」
「え?」ということで、(実家も○売新聞なので)持ってきて早速拡げてみる。
論壇のところに大きく写真入りで出ている。
「バアサン、ズラ、変えたな。」と早速メール。するとお返事がまるでこだまのよう
に来る。ピンポーン「ズラなんて直截な。ヘア・ピースとかウィッグとかさぁ、
もう少し、言い方が、、、そやけど、前のかつらより毛のカールが減っとったな。」
後から聞いたら、その日の朝は、新聞記事の内容なんかそっちのけで
そのバアサンがかつらを変えたという話を仕事場ではみんなでしていたって。(笑)


バアサン、御年85歳。新聞掲載の写真を見てもすこぶる快調のようだ。
何を思ったのか、このお方、数年前に俺の職場にやってきて、数年間いた。
つまり一緒の職場で働いた、ということになる。


最初は、「私は老後を四国で過ごす。」とか
かんとか言ってたんだけど、ほら、西日本って夏はやたら暑いし、湿気が
すごいからね。数年いたけど、「私、ここの風土はなじみません。
ここに居たら身体を悪くします。」 とかおっしゃるとさっさとやめて、
別の場所に変わられた。バアサン居なくなる、っていうことになったとき、みんな
ホッとした顔をしてたもんね。やれやれ、とか。


新聞記事はまぁ、すばらしいことを書いていたけど、一緒にいた身としては、
そんなことより、すごいわがままなバアサンでみんな困ってた。(笑)


どこのセクションに行っても必ず文句を言うの。でもさぁ、バアサンだし、お年寄りには親切に
しなきゃ、っていうのと、長年年寄りって、その流儀でやってきたんだし、、
いまさらこちらが抗弁しても、ダメだろうな、って思って、バアサンの言うことには
とりあえず「ハイハイ。」と言っておくことにした。 ハイハイと言っておいたら、
まぁそれ以上の変な要求もしなかったし、、。
ただ職場では、こられると非常に迷惑、、というのはみんなあった。


だもんで、みんなその人が何かの用事で接近してきたら
身構えたもんね。で、俺のいる場所にきたら、誰かが、ささっと机の上の目立つところにスヌーピーの
ぬいぐるみを置いていた。それが、「バアサン接近注意!」の表示。
一斉に走るピリピリ感。こわーい。


だけど、そういう周囲のことなんか全然お構いなしに、バアサン
当時からもうすこぶる付きで元気でさ。(笑)
それもそのはずで、1年のうち2ヶ月近くは、東京の聖路○の特別室に入って
体のメンテナンスを隅から隅までやってもらっていたんだよ。
だから体調とか身体の検査はもうばっちり。(笑) ベストコンディションよ。
で、残りの10ヶ月だって、好きなことバシバシ言ってさ、自分のしたいようなこと
やってたんだから、ストレスは溜まんないでしょうに。(笑)


いつだったかなぁ、確かおととしの正月だったかな。
バアサン、NHKのテレビで解剖学者の養老センセイとかと後
もうひとりは誰だったか忘れてしまったけど、3人で話をするという番組を放送してた。
たまたま真夜中にテレビつけたら、あなた、まぁ見覚えのある顔が
ドーンとテレビに出てきて。で、 さすがはバアサンでさ(笑) 
一人だけでいい調子でつっぺらこっぺら長演説してさ。
あの「バカの壁」の養老センセイになんて、ほとんど口を挟ませなかったもんね。
バアサンすこぶる快調、快調。絶好調。


で、いつだったか友達で占いをする人がいるんだけど、生年月日だけ言って占ってもらってさ
「この人いくつくらいまでこんな元気なの?」って聞いたら、
「強い星のもとに生まれた人だね。百歳くらいまでは軽く行くんじゃない?」とのこと。
うん。そうだろうよ、と思わず納得。
今回だって、新聞に載った顔つきを見ても、顔の表情のすみずみまで「私はこう生きるのよ!」
っていう自分の意志、っていうのが濃厚かつ強烈に出てるもん。
やっぱり自分の意志、っていうものの強さが、生きる力を左右するのかもしれないなぁ、
ってその意志みなぎった表情の写真を見て思ったのが5月2日の朝のことだった。


昼前、工事が一段落して、ご飯をどうしよう、って思ったのだけど、
面倒なので例によってうどんやに行くことになった。
うどんやで釜揚げの小と、かぼちゃのてんぷらをもらって、食べて出てきたら
近所のおねいさんと出あった。
何でも、今日はそのおねいさんのお父さんはディサービスに行く日で、「今
行ってるから、片づけをしたり、日ごろは足をのばせない、ちょっと遠くまで
買い物に行ったりしてたんですよ。」とのことらしい。
ディサービスに行ってどんなことをするんですか?
と聞いたら、たまたま自転車のかごの中にあった色画用紙を広げて見せてくれる。
兜の形を白い紙にコピーしたものを、おとうさんがはさみで切って、茶色い色画用紙に
貼ったものらしい。
おねいさんは言った。
「ホラ、うちの父、以前は、中学で美術を教えていたりしましたしねぇ、、工芸作品で
いろいろなものを作っていたから、指先は人一倍器用だったんですけどね、、。」
よく見ると、線に沿ってはさみが使えていない。ところどころ線からひどく逸脱していたり
線が切れていたり、端の細かいところなんかは大雑把にしか切っていなかったりした。
「昔はこんなんじゃなかったんですよ。もっとはさみだって隅々まできちんと使って
こんな切りのこし、とか線からはみ出る、なんて絶対なかったのに、、。
色画用紙だって、こんな汚い色の画用紙なんて、以前だと父の美意識が使うの許さなかった、
と思うんですよ。」
「やっぱり面倒くさい、とか思っちゃうんでしょうかねぇ。」
「切れなかったりするかもしれない、、しねぇ、、。」
そうしておいておねいさんはため息をひとつつくと言った。
「年をとる、っていうのは、こうなって行くことなんでしょうかねぇ、、。」


朝のバアサンと午後のジイサンと。
自分の意思をどこまで持ち続けて生きることができるのか、
そしてそんなことが、「生きる」という上での一番根底部分に在って、
すごく大切なことなんだなぁ
ということを、改めて考えた日だった。


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