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07. 05. 16

お詫びの記者会見

過去に一度だけ、記者会見をしなくてはいけなくなったことがある。
ある文学賞に応募して、奨励賞という名前の新人賞をもらった時だ。
主催者が、「○月○日の○時から、記者会見をしますから
出てくださいね。」
といわれたので、選考委員長のセンセイとともに
出ることになってしまった。

そのときに、記者会見というものがどういう仕組みに
なっているか、ということもわかっておもしろかった。
ちょっとそのときのことを。
記者会見場という場所に連れられて行くと、
ちょっと時間が早かったせいで、まだ、テレビカメラとか
記者さんたちが準備をしていた。
カメラマンの人たちは、カメラの位置をセットしたり、照明の
具合をチェックしたり。
字を書く記者さんのほうは、あらかじめ配られた資料に
目を通したり
いろんなところと携帯で連絡をとったり。
こちらもしばらくしたら席についた。
会見の開始時刻は午後1時。
そのときは、まだ12時50分過ぎ。
カメラマンのスタンバイはできている。
記者さんも、資料を見たりして準備はできている。
だけどまだ定刻になっていないから会見は始められない。
お互い、じーっと黙って向き合ってるだけ。
どうすればいいのか、と思っても
時間が来ていない、という理由でそこにじっとしたまま。
動かない。
で、定刻になると、突然記者さんの一人が立ち上がって
「定刻になりました。それでは記者会見をはじめます。
私は幹事社の○○新聞の△△です。 まず今日の日程を
説明します。」って言って、時間配分とか、終了時刻を言う。
それが終わると、今度は主催者側の説明が資料をもとに、
会見がはじまる、という寸法。

みんなさっきまでのフリーズドされた状態は一体なんだったの? 
っていう感じで、ものすごい速さでいろんなものが動き始める。
言ってるコメントを打つキーボードの音、カメラのフラッシュ、
原稿を書く人の紙をめくる音、確かに状態は静かなんだけど
一斉に動きはじめる、という感じで、あまりのその落差に
ただただもうびっくり。

だけど文学賞の発表に来る記者さんていうのはさ、原則的に
文化部の人なのだろうけど、文化部たってさ、守備範囲が
広いわけでさ。もともとのその人の専門は
一体何なのかわかんないものね。
俺の友達は今、ある新聞社で文化部の記者してるけど、
ファッションの記事だって書かないといけないんだって。
院の時は考古学が専門だった奴でさ。発掘調査報告書とか
縄文式土器、弥生式土器って論文書いたりしていた人が、
就職したらあなた、ファッションショーだって。貝塚の分析なんか
やってた人間がパリコレの詳細を取材して書くんだよ。(笑)

だけどまぁ、考えたら仕事なんてそんなものだよね。
そんなの俺、専門じゃないです、分かりません、って言ったってさ、
「はい今日からこれ、キミの仕事ね。」
って上の人に言われて、とんでもない専門違いの仕事の担当になる、
なんていうことは案外日常的に起こるもん。
新聞社だって人手が足りない時は、高校野球の取材に
文化部の記者が出ることだってあるし、大きな災害とか事故なんか
があっての取材に、っていうときは、もう専門なんかいちいち考えて
いられないもの。

そういう専門外の人さえいる中に、こちらの言いたいことを誤りなく
伝えようとする記者会見の際の説明って、結構大変なことだよね。
粘り強く自分の言いたいことを
伝える、って。

俺ね、人前で話をするっていうのは全然苦痛ではないんだ。
話をしろ、って言われたら話はできるし、この記者会見のときも
落ち着いて話はできた、って思う。
ただ俺の性格は、そんな派手派手しい場所より
家で、合挽きミンチとパン粉を捏ねてたり、洗濯もの干してる
ほうがずっと合ってる。ドメステック志向の人間なもので。(笑)

まぁ、それはともかく。たまたま俺の時は、文化部担当の記者さんが来て
くれていたみたいだった。
どうしてそれが分かったか、っていうと後で質疑応答、っていうのが
あったんだけど、その際の記者さんからの質問が、あ、この人、
いろいろな小説をいつも読んでる人だな、って思わせるような質問
だったから。
あまりにとんちんかんな質問はなかったから、こちらも安心した。
だってさ、まるっきりの専門外の人に説明する方法と、多少分かってる人に
説明するときのしかたとでは、俺の方だって、言葉の選び方が
全然違ってくるものね。

だけど、そんな記者さんでも、俺の小説はまだ読んでくださってはないわけで、
そういう人に一行も読んでないはずの俺の小説のプロット(あらすじ)とか
テーマの説明をして、そのうえで理解してもらわなきゃなんない。
正確に相手に自分の考えを伝えること
これは結構難しい。だけど記者会見って、そういう分かってもらうための
会見なんだし、それこそが記者会見の要諦だから、
全身全霊をこめてきちんと分かってもらえるように説明した。
その時に外国で生活したときのことがすごく役に立った。
自分の言いたいことをできるだけわかりやすく、相手に伝える、
って、外国にいたときはすごくしんどいな、って思ったけど、
これって案外今の日本の中でも必要なスキルだったりするかも
しれないね。

だけど、こないだある本の雑誌で、小説書いてる人がさ、
「どうしてあなたは小説を書いているのですか?」
って質問された、っていうアンケートがあってね、その回答があったけど、
俺、そのアンケートの回答見てて、ホントいろんな人がいるなぁ、って思った。

たとえば、俺が小説書くのは、自分の中に、どうしても誰かに
伝えたいテーマっていうのが、生まれてきてさ。そのテーマを文章に
書こうとして、一番言いたいことを人に向かって
書こうとするときに小説、っていう形を取るのが自分には
一番伝えやすいと思うから、小説を書く、ということになるんだ。
だから、そもそもは自分の中に伝えたいことが浮かんできたから、
というのが動機で文章を書いている。

このブログだってそう。遮二無二アクセス数がどうこう、っていうことは
あんまり考えてなくて、自分の思うことを書いて、それを誰かに伝えたい、
伝えられたらいいなぁ、っていうのがそもそもの動機だし。

だから読んでいただける方があれば、もうそれで十分。一日に何千アクセス
っていうより、ほんの少しのアクセスでも構わないからさ、
俺が書いていることを読んでいただけて、それが何かしら
読んでくださった方の中に残るようなことがあれば、っていう気持ち。
それにそんなむやみなアクセスじゃ、俺のほうがちょっと恐い気もするんだ。
知ってる人は知ってる、そんなふうな
ちょっとした隠れ家みたいなブログがいいなぁ。
って管理人は思ってたりする。

だけど、世の中には、いろいろな執筆動機の人がいるということはあるだろうし。
文章を書いて、いつかは文学賞をもらうのを目標にしてる、っていう人も多いのかな。
そういえば、ちょっと前の「ダヴィンチ」っていう本の雑誌に
文学賞をねらう、なんて見出しが書かれてあったのを俺、コンビニの雑誌コーナーで
見たもん。雑誌のテーマになるくらいだから、そういう賞狙いで文章
書いてる人も多いんだろうなぁ、って想像した。

あ、今日の話は俺の文章を書く動機とか記者会見の話じゃなくてさ。
(行きがかり上、だらだらと書いちゃったけど。笑)
ほら、よくお詫びの記者会見とかあるじゃない?
あの記者会見も、俺が経験したのと同じような感じで行われるものらしい、
っていうこと。
あー、やっと本題に来ることができた。(笑) やれやれ。


準備ができても定刻になるまで、お互い黙って向き合って座っててさ。
それで、「定刻になりました。」って言ったら、「ただいまから、当社の
なんとかにおける品質管理の不徹底から生じましたこのたびの、、、」
って、そこではじめてあの、社長なんかが頭を下げる、といういうシーンが
登場するということ。
テレビの画面はさ、このたびはどうも申し訳ないことをしました、、
って頭を下げるシーンがあるけど、そこにいたるまでの時間は結構長い。
記者会見が始まるまでお互い黙って向き合って座っていて
時間がきたら、いきなり「すいません。」 ってやるの。テレビじゃ、
その頭下げてるところしか映んないからいいけどさ。最初から最後まで
通しで記者会見見たら結構間が空いていて、変な感じがするものらしい。


まあね、お詫びしている側は、何もマスコミ各社にお詫びをしてる
わけじゃないものね。
ディスプレイの向こう側にいる一般の人たちへのお詫びだもんね。
で、お詫びの謝罪のシーンがあった後で、次に質疑応答の時間になるんだ。
問題はここだよね。
何が原因だったのか、それでどういう問題が起こったのか、
被害状況はどうで、その後の影響はこうで、と納得のいく説明をしていくのは
なかなか大変だ。

こういうときの対応、って難しいよね。
だけどさ、この前のファンヒータの回収をした
○下電器の対応がよかったから、って、それ以降の
対応がぜーんぶ○下とおんなじになってない?
あれもなんだかなぁ、、ってちょっと思ったりもする。


小説だと、読者の感情の中でさまざまな変化をするから
受け取り方もいろいろあってそれでいい、と思う。
作者のもとを離れた作品は、どう読まれても仕方はない、っていう
ことはあるんだけど、、。
だけど、記者会見っていうのは、自分の思っていることを、
きちんと正確に相手に伝えなければならない、
そこがすごく難しいことだなぁ、って思う。
正しく相手に理解してもらう、って、骨の折れることだよね。(笑) まったく。


おひるやすみNHKブックスの「幸福論」 宮台・鈴木・堀内編 をななめよみ。
それから中央公論の5月号の座談会「下流の性が下流を生む」
山田昌弘 千田有紀 二松まゆみ の鼎談 は、いろいろ考えさせられるところが
多かった。

(今日聴いた音楽 戻っておいで私の時間  歌 竹野屋のまりやさん
 1982年 アルバム VIVA! MARIYA から  音源はレコード
 近々新しいアルバムが出る竹野家のまりやさんだけど、これは
 RCA時代のベスト盤 白地にピンクのレコードジャケットがかわい
 かったです。)

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