夢の浮橋
昨日から、五来重(ごらい しげる)先生の「熊野詣」を
読んでいる。(講談社学術文庫;1685)
五来先生は俺の恩師のそのまた先生。
日本で「宗教民俗学」っていう学問を打ち立てた人。
このあいだ祇園の都をどりの話をしたよね。
祇園っていう場所は京都は鴨川の東側にある。
今日の写真はその鴨川。
と、言っても、これが京都のどこなの?
って言われそうなくらい場所なんかわかりにくい写真だよね。
これは丸太町が鴨川を渡るときの橋の下から撮った写真。
上に横に伸びているのは橋げたなんだ。
この写真からは、ちょっと見えないんだけど、
この橋からほんのちょっと北にいったところ。
写真では左に見えている茶色いマンションの建物の奥あたりに
江戸時代の学者、頼山陽の旧宅がある。
「山紫水明処」って書かれた額の架かっている書院のある家。
いきなり話が平安時代に飛んで申し訳ないのだけど、あの時代って、
貴族でさえも「お墓」を作るという概念はなかったの。人が亡くなったら、
確かにお葬式はやったんだけど。まぁ今もそうだけどお葬式なんて
亡くなった人のため、っていうより、後に残った人間のため
っていう感じだよね。平安時代だってそうだもんね。
有力な貴族が亡くなったら、天皇から使者が立てられて
弔意を述べにいった。それから生前の功績によって、位階を
上げてもらえるとか、(追贈っていうの。)生き返るんじゃないか、
っていうんで、しばらくなきがらをその場に置いて死者のたましいを
揺する儀式をやってみたり、とか、僧侶が読経するとか
そういう儀式が一通りあった。
そうやってお葬式は立派に行うんだけど、さっきも言ったように
お墓を作る、っていうことがなかったし、平安時代あたりから、
穢れはダメ、っていうような考え方が急に蔓延するようになってきた。
特に死の穢れ、なんてすごく言うようになった。
じゃあ、お葬式が済んだ、と。そのなきがらはどうしたか、
っていうと、都市の外の周辺に捨てに行ったんだ。
文字通り捨てに行く、っていう感じ。なきがらを
そういう死体を置いておく地域に持っていく。
そこへポンと置いて、それでさっさと帰ってくる、というもの。
墓地を作るとかそこに埋めるなんてことすらしなかった。
だからおそらく後は鳥とか動物が食べてたり、自然に腐敗
していったり、ということだったと思う。
そうしたいくつかあった死体置き場のひとつが、この鴨川の東の
あたり一帯だった。鳥辺野なんていう地名聞いたことあると思う。
だけど、なきがらを、ポイって置いて、すぐにそのまま
家に帰ることはできなかった。なんたって死穢のまとわりついた
体だから。どこか途中で、身を清める、という過程を経なければ
ならなかった。
こう書くと、昔はそんなことしてたの? なんてびっくりする人が
いるけど、今だってやってるでしょうに。お葬式から帰ったら
体に清めの塩を振り掛けてるよね。
後、それからお葬式が終わったら親族同士でちょっとした宴会とか
するところもあるよね。あれも実は「精進落し」っていう
意味があってさ。死者を悼む儀式のための生活から、普通の
生活に戻ります、っていう意味の儀式だった。
この精進落しっていうの、ずいぶん昔からやってたんだ。
死体を置くでしょ、それから、その置いた場所から程遠くない
ところで「精進落し」の宴会をして、再び日常の生活へと
戻っていった。
その鴨川の東で、精進落しのための宴会をしていたお店が
だんだん発展してしていって街になったのが、今の祇園
っていうわけね。 だから鳥辺野に亡くなった近しい人のなきがらを
置いて、祇園の辺まで戻ってきた。そこで、精進落しの宴会を
やった、で、鴨川を渡って、京都の街中に戻っていった、ということ。
だから乱暴に言ってしまうと、鴨川から東はあの世の世界で
橋を渡った西の街中はこの世の世界だった、と言うことだって
言えるかもしれない。
そんなあの世とこの世を結んだ橋の名を、人は「夢の浮橋」と言った。
夢の浮橋なんて、言い得て妙な名前だと思う。
実は上の写真には写ってないのだけど、この鴨川にかかる
橋の下には今や全部ホームレスの人のビニールテント製の家が
あるんだ。(おそらくどんな京都のガイドブックにも、そんなことは
書かれてないと思うけど。)
橋の下をくぐって河原に降りてみると、そういう現代の
この国が抱えている社会の問題というのか
まぎれもない別の表情をはっきりと
見て取ることができるように思える。
来週連休とかで薬がなくなるので、早めに病院に行った。
待合室でNHKのローカルニュースを見ていたら、
なーんとなんと安藤忠雄センセイご本人が出演してて
お話をしてた。うわさをすれば、、なんとやら、、でした。
(今日聴いた音楽 檸檬 さだまさし 歌 1978年
音源はシングルレコード)
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Comments
そうですよねー。
源氏物語なんかでも,荼毘までは書いてあってもその後をどうしたかなんてないですもん。よほどの人でないと,その場にそのままにしといたんでしょうね。
確か道長さんはお骨を家司か誰かがどこかの寺に持っていったと思いますが,祖先の墓所は全然わからなかったらしいですね。
今の世には夢の浮橋なんていう目に見える境界線がなくなってすっきりした代わりに,異界がわかりにくくなっているような・・・
橋の下や公園の段ボールハウスには目をふさいで見ないように。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 07. 04. 30 AM 12:00
----Ikuno HIroshiさま
何だか平安時代の途中から、六国史の記録にそれまでなかった穢れとか祓いという言葉が次第に多くなっていきます。だけど不思議なことに、犬は死んだら穢れ、になるのですが、猫は別になんにも関係ない、とか鳥は穢れ、だとか、きっとその時代の判断基準があるようなのですが、その基準がいまひとつよく分かりません。(笑)
今は何でもオシャレで小ぎれいでちまちまと片付いているというのがいいみたいですね。そこから離れると見向きもしない、っていう傾向がありますよね。それだけしかない、っていうのもなぁ、、って本当そう思います。
Posted by: 謙介 | 07. 04. 30 AM 10:38