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07. 03. 15

期待はせず、されどあきらめず。(その1)

このブログもGBrに登録しているので、アクセスの状態を見たら
そちら経由で見にきてくださっている人がやはり多い。

先日、ブログのタイトル、「わかってください」にしたら、
いつもの倍くらいのアクセスがあった。

みんな、「わかってほしい」っていう言葉にすごく敏感なんだな、と改めて思った。


ということは、逆に言えば、普段の生活の中で、いかに自分が
わかってもらえることが少なくて、みんな大きな「しんどい部分」を抱えて
いるからだ、っていうふうに思ってるからじゃないか。そんな気持ちの
反映、って思ってしまうのは、俺の深読みのし過ぎだろうか?
いや、そんなことはないよね。
ゲイという存在は、そういう性的指向性でない人には、なかなか理解されない。


たとえば、ゲイというセクシュアリティを表出するか、しないでおくか。
俺もこのGBrに登録してるさまざまなゲイの人のブログを訪問して読ませて
もらっている。やっぱりそれぞれの管理人の考えがあって
ゲイであることを隠さずに堂々とカミングアウトしたらいいじゃないか、
っていう人もいれば、そういうことは、表明せずに隠している、
という人もいる。

これはあくまでも俺の考えなんだけど、そういうカミングアウトする、しない
っていうことは、その人の置かれた立場立場だから、どっちがいい、とか
カミングアウトしないから、よくない、なんてことは一概に言えないと思うんだ。


ただね、俺がすごく気になるのはさ、お互い書いてる人たちの自分の立場に立って
主張していることは、よく分かるんだけど、でも、違った環境とか
違った状況にいる人もいるんだ、っていうことへの、言ったら他者への想像力
っていうものが、あんまり働いてないように感じるんだ。
自分はこうだから、こういう主張をする、以上。って。それだけ。
とりつく島がない、ということだろうか。


たとえば居住してる社会環境っていうことで言うと、
都会だと人間関係は一定の距離があってお互いが接しているから、
他人が自分の生活の中にどんどん入ってくる、なんてこともないだろうし、
ゲイであっても、案外「○○クンって、そうなんだぁ。」っていう理解だって
比較的してもらいやすいと思う。

だけど田舎へ行くと、お互いの人間関係が、ものすごく密接に結びついている。
田舎っていうのはさ、○○さんのところの長男は
どこの学校出て、どこに勤めて、、なんていうこと、ご近所の人は
みんな当たり前のように知っている。
都会だったら、隣の人がどういう人なのか、っていうことさえ
知らないで済む。けど田舎は人間関係が固定化してるから
近所の人間の細かい情報まで知ってる。
個人情報がどうのこうのなんて言ったって、田舎に行くと
プライバシーなんてないのと同然だもの。
だからちょっと「変わったことをする」と、それがすぐいろいろなところに伝わる。
前に、俺の住んでる実家の街の荒れた成人式が全国ニュースになったけど、
あれが晩の7時の全国ニュースで出た1時間後、俺、近所のオバサンから、
あの成人式でムチャクチャしてた
連中の住所まで聞いたもの。すぐどこの誰か分かってしまった。

田舎ってそういう社会構造。
そういう場所に住んで、生活をしていこうとしたときに、
カミングアウトをして、、って思ってもそれは相当に勇気が要ることだって
思うんだ。

前に、やっぱり田舎に住んでて、俺は絶対カミングアウトなんかできねぇよ、
って言ってた奴と話をしたんだけどね。その彼がこんなことを言ってた。

そういう社会で、例えば、仮に地方都市でゲイのパレードがあったとして、それに
こっそり参加した、と。そうしたら、早速誰かに見られるか、テレビに映るかして、
「あんた、あんなのに参加してたね。」とすぐご近所情報網の種になってしまう。
近所の人にうわさされるもん、って。自分が親との間でカミングアウトする、って
いうだけならまだしも、田舎って社会が狭くて固定的だから、そういうのが
あっという間に近所とか地域全体に知られてしまう。そのことがたまらなく嫌だ、
って言ってた。

そんなものテレビに出たら一発よ。
ちょっと前だったか、同性愛者であることをばらすぞ、って恐喝されて
お金を支払い続けた、っていうニュースがあったよね。
それだって、元はと言えば、そういう狭い地域社会の中で、もしそれが表沙汰になったら、
っていうものすごい恐怖感がその人にあって、それが高じて
あんな額になったんだ、ということだと思う。 確かに額はすごいな、と改めて思ったけど。
都会ならカミングアウトは、個人が個人に告げるだけ、っていうことでしょ。
知られても、その範囲はあくまで個という部分に限定される。こいつなら言っても
大丈夫だろう、って思って言う、なんてことが可能だよね。
だけど田舎は、そんな「情報」は告げた相手だけに留まらない。
あっという間にご近所みんなに○○さんちの××くんはオカマよ、という情報になって
そこいらに伝わってしまう。
 
田舎では場所によったら町内会の活動なんていうものがあったりする。
多分このブログを読んでる人たちの場合は
そんなご近所の会なんて、大抵は親の年代の人が出てるから、今ブログ
なんてやってる人の年では、まだ知らないで済んでるかも
しれないけどね。 

田舎に親と住んだりしていると、やがて親が年老いてくる。
そうしたら、今まで出てた親のかわりに近所の会合に出ないといけなくなるんだよ。
で、ゲイパレードになんか出てて、それがテレビに映って、
近所の人にはこちらがゲイであることが知られているとする。

周囲の人間は「あ、○○んちのオカマの息子が来た。」ってうわさしあう。
そういうことにどれくらいまで耐えて生活できるか? っていう問題だって起こる。
そんな好奇の目に耐えて、暮らさないといけないなんて、オレには絶対できない。
って彼は言ってた。 そういうの確かに田舎では起こりうることだなぁって
予想がつく。
でも都会で住んでる人には、そういう地域社会の構造とか、状態っていまひとつ分からない、
って思うんだ。


実際、俺の職場のほかのセクションでこんなことがあったんだよ。非常勤の
人だったけど。
その人、晩にハッテン場へ行って、どこかの男とキスしてたらしいの。
それを夜中にジョギングしてた同じ職場の同僚に見られて
しまって。その同僚に見られたことにゲイのその人は気づいて、
結局居づらくなって辞めちゃった、って。
なんかねぇ、月の半ばの、それこそものすごく中途半端な時期に突然
辞めたからさ、どうしたの? って俺、ちょっと不思議に思ってさ。

でも最初は理由なんて分からなかったんだけど、しばらくすると
パートのおばちゃんがその理由をこっそり教えてくれて
判明した、んだけど。そんなことだってあるし、、。

田舎なんかハッテン場行ったら、同僚に会う、
なんてことだってあったりするものね。
仕事を失ってしまう、ということすら起こる。
次に来る仕事なんて、今どきの地方じゃそうない。
ましてや田舎は働く口がない。求人があっても職種が偏っている。
自分に向いているなんていう職の募集なんてほとんどない。
だから、みんなこれでもいいかなぁ、っていう範囲を広げて
なんとかしのいでいる。(でもまぁこれは都会も同じか。)
だからカミングアウトをすると、ひどいときには失職することだって起こる。


だからそういう社会の中で生きていこうと思えば
カミングアウトせずに隠しておく、というのだって、したたかに自分が
生きていく上での、一つの戦術だと思うんだ。
そういうふうに、カミングアウトする、しない、っていうのは、あくまで
その人の置かれた立場とか、周囲の状況で全然変わってくるから
何がいい、とか悪い、っていうんじゃなくて
俺としては、自分の状況に合った選択でいいんじゃないか、っていう気がするんだ。

今日は都会に住んでる人にとってあんまり理解してもらえない、
田舎に住んでるゲイの人の社会状況について書いてみた。
知らないことは想像できない、ってあるものね。
でもまぁそんな社会だけど、これじゃあ人間らしい生活ができない。
少しずつ自分の周囲はなんとか変える、というようにしなくちゃ、
っていうことをこの次にまた書こうと思う。


(いつにもまして長くなったので、今日はこの辺で一度措くね。
続きはまた後日)

(今日聴いた音楽 マイルス・ディヴィスクインテット 演奏
 マイ・ファニー・バレンタイン  アルバム COOKIN'  1956年発表所収
 トランペット マイルス・ディヴィス  テナーサックス ジョン・コルトレーン
 ピアノ レッド・ガーランド ほか)

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Comments

カミングアウトは環境や住む地域、育った環境、又は、職業によっても、いろいろと違いますね、カミングアウトは、それをする、しないとか、悩んだり、生きやすい、生きにくいとかでもなく、楽になるとか楽にならない、損得とかでもなく、どう戦っていくかになるんだと思います。
僕は、ごくごく親しい人で理解できそうな人には、カミングアウトしていますが、人から相談された時には、けっして進めたり、止めたりはしません。
理解できない人間には、いわなくてもいいと思っています。

きっと環境とか悩む状況や生きる時の損得は現実あると思います。そこで、どう、自分らしく生きれるか、自分の人生にgayであるアイデンティとどう付き合うか現実に繁栄させていくか、またはクローゼットにしまっておくか、の選択をその都度していけば、いいだけではないかと思っています。

前にgayタレントさんがTVのインタビュー番組で
「おかまになると楽よ、なっちゃえば」な〜んて冗談まじりでインタビュアーの人に答えてましたが。
僕は、無責任なタレントさんって思っています。ご兄弟で芸能界にいて、もう一人の方は、人格者どと僕はおもうんでうけどね。

この世の出来事は、良いことも悪いこともずべて自分主体のその時々の心をこめた選択から発生します、その、カムアウトの選択も自分ですべき。なぜなら、カムアウト相談者の人生だからだと僕は思います。

皆が、自分らしく生きていけたらいいなぁ、そんな風に僕は思っていますし、祈っています。

Posted by: holly | 07. 03. 15 at 오후 8:30

---- holly くん
 なかなかこれは難しい問題ですよね。
それとね、ゲイの人のブログ見てたら、都会とか
人口の多い場所に住んでる人は、そういう視点で
見てて、そこからは、田舎のように人口が
すくなくて人間関係が固定化したような場所に
いる人のことはなかなか理解できないんじゃ
ないかなぁ、と思ってこういうのを書いたんです。
それぞれ立場はあるんだけど、 holly くんの
言われるようにその人らしく、っていうことが
一番大切ですよね。肩肘張らずに自分の道を
生きる、これが一番大切なように俺も思います。

Posted by: 謙介 | 07. 03. 15 at 오후 10:01

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