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07. 03. 30

別れの言葉とともに思ったこと

今日は3月30日。2006年度は、ホントは明日31日までだけど
明日は休みなので、実質今年度の出勤日としては、今日が最後。
そのせいもあって、今日は辞令の交付日。
今日を最後にここを去っていく人たちが次々とあいさつに来た。

そんな中で、昼休み、よく話をしていたIくんも今日が最後。
「お世話になりました。」と彼。
「いえいえ。お元気で。」
彼は、実家に帰って農家の仕事をする、のだそうだ。

もう何ヶ月も前から、退職は分かっていたのに。
今日が来ることは十分知っていたのに、
手をこまねいて、うろうろしていた間に月日はどんどん過ぎて、
気がついたら今日が来ていた。
今日でキミの車を見るのも最後。
月曜からはキミはいない。
でも、いや、多分俺はまた月曜に来て、
駐車場のキミのスペースに知らず知らずの間に車を探そうとするんだろうな。
でも、もうキミの車は来ないことを思い出して、、。
あ、そうか、と思いなおす、
そんなことがしばらく繰り返されるのだろうか。

4月、って俺の中ではどこか落ち着かなくて、埃っぽくて
あまり好きじゃないなぁ。なんだか忙しい忙しい、って言ってるうちに
気がついたら終わってる、そんな感じの月で。
とりあえずの3月(笑)  もうちょっとあったらよかったのに。
そんなことをぐずぐずと思っていた今日の俺。


昨日から、雑誌の
「現代のエスプリ 別冊 」 特集セルフ・アイデンティティ 拡散する男性像 
の所収論文を何編か拾い読みしてる。

巻頭で編者がこの雑誌の編集の意図として
「目下のところ、男性アイデンティティの解体と再構築は
その方向性がはっきりせずに拡散状態にある。」と書いてあった。

でまぁ、今までは男らしさ、っていうことを言い募ってきたから、
もうそんなことにこだわるのじゃなくて、これからは「自分らしさ」で
行こう、っていうことになったんだ、って思うけど、
正直、俺、それは多分うまく行かないんじゃないかなぁ、って思ってた。

だって西洋と違って、日本文化の中にそもそも「自分」なんていう意識が
ほとんどなかった訳でさ。

そんなもの喧嘩するときに吐く言葉聞いたら分かるでしょうに。
「おのれぇぇぇぇぇ」って言うの聞かない? 
じゃあ聞くけど、「おのれ」って誰? 
普通おのれ、って、自分じゃないの?
でも言ってる本人の指しているのは明らかに目の前の相手だよね。
何で「おのれ」が他人になるのさ。

ね。 自分だったり相手だったりするんだよ。(笑)
これだけ「自分」の意味範囲が曖昧な日本語の中で
生きてきて、、自分ってなんなのか分かってないのに、ある時いきなり
「自分らしい生き方」って言われたってさ、そりゃわかんないと思うよ。


そういう自分っていうのがわかんない、って言ってたり、
それとは別に男らしい、とか男らしさにものすごくこだわっていった
あげくに、袋小路に入ってしまって、横から見てて何がなにやら
訳がわかんなくなってる人もいように思う。
俺の周囲でノンケさんを見てたら、あれ、って思う部分女性的な
考えをする部分もあるんだけど、ゲイの人で男らしい、っていう
ことにこだわる人っていうのは、そういう部分は女みたいだ、
ってもうとにかく排除してしまう。どこまでも純粋培養で男、
っていう方向に行ってしまってる、っていう気がする。

まぁさぁ、人間なんだからそんな男性的100%なんてない、
って俺思う。たぶんに女性らしさもあり、の、だけど男性っていう
部分もありの、っていうのが俺が見た周囲のノンケの人なんだけど。

思うに多分ゲイの人で男らしさにこだわる人って、
小さいときに友だちとか家族から言われたんじゃないのかな。
「おんなみたいな奴」とか「おかまっぽい」とか。
それがトラウマになって、女性的な部分を極力排除しなくちゃ、
ということになった、と。男性性にこだわって、いやこだわりすぎて
訳がわかんなくなってる人、っていうのも結構いるように思う。
適当でいいんだ、って俺なんか思うけど。

それとか、漱石さんみたいに、「自分」っていうものが絶えずぐらぐらしてて、
ある時は「自分を持たなきゃ」って思ってみたり、またある時は
「自分じゃなくて自然に生きなければ」と思ったり。自分っていうものが
不安定だったから、考えがいつも振り子みたいに揺れてた、
っていう人もいるんじゃないかな。 なんかある時は俺は
こうだ。俺はこうやって生きる、とか思ったかと思ったら
またいくらか経って考えが変わる、っていう人。

小さい時に受けた家庭環境なんかが落ち着いてなくて、
絶えず自分が脅かされるような生活を強いられてたりすると、
安定できる自我を育てられないまま大人になってしまって、
大人になってから考えがぐらぐらしたまま、っていう人もいるよね。
結局、自分がよくわからなくて、その時々の感情で動いてるから
風向き次第であっちへこっちへ、、っていう人もいる。


いくつかの論文を読みながら、こんなのあるよなぁ、とか結構いろいろと考えが
浮かんできて、おもしろかった。(まだ全論文精読はできてないけど。)
今読んでいるのが下村英雄「男性アイディンティティと就労意識 
男性フリーター問題に着目して」っていう論文。
筆者も最後のところで書いているけど、(以下引用)

  男性フリーターのネガティブな就労意識を、男性自身の男性性への過剰な
 こだわりと意味づけるのか、それとも過剰に男性性を要請する社会通念の
 圧力に押しつぶされた結果と捉えるのか、そしてその結果として男女のジェンダー
 を超えたところを目指すのか、それとも生物学的な男性性に新たに立ち返る
 ことになるのか、その判断は簡単にはつけられない。 おそらく、その
 両面があり、今後も継続して議論が必要となるだろう。(引用終わり)


なかなかおもしろい論文だ、って思いながら今読んでいるところ。
別の論文を読んでいたら、作家の井上ひさ○が家庭で暴力を振るったことが多々あった、
という記述があった。出所は、元の奥さんの書いた本とのこと。
ふーん。俺の中では、井上ひさ○って護憲的な家庭人っていうイメージが
あったけど、家では、専制主義で家庭暴力を振るう人だったのか、、。
ちょっとびっくり。

やっと風邪ひきが治ってきたので、週末に頭をきれいにしてきたい。


(今日聴いた音楽 というか、このところずーっと頭の中で鳴っていて
 どうなったんだろう、って思ってる曲。 キース・ジャレット ピアノ演奏の
 ケルン・コンサート 第一曲 1975ケルンでの録音から )


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