2月26日
昨日は2月26日。
俺にとって26日というと、大学に入学手続きをした日だし、
いよいよ学生生活の最後になって、院の口述試問があった日でもある。
つまり大学の入学が決まった日でもあったし、
修了が決まった日でもあった、という日。
何かの偶然ではあったのだろうけど、
入口と出口が同じ日、だったわけで、
この2月26日っていう日は自分の中では
忘れることのできない日になっている。
院の口述試験は一時間で、主査が一人
副査が二人という三人の先生から
いろいろ質問があった。
山ほどの質問があって、それにあたふたと答える俺がいて。
「ハイ、じゃあいいでしょう。卒業しても、研究は続けるんだよ。」
というお言葉をいただいて、俺は研究室を出た。
時計を見ると1時間どころか1時間半が経っていて、
文字通りあっという間だったなぁ、と思った。
終わって院生の研究室に戻ってきて、みんなでお祝いをした。
だけど、その頃って、自分には能力があって、何でもできる、
みたいに思っててさ。
研究できない奴はア○、とか、人の能力をまるでかみそりか何かみたいに、
あいつは切れるの切れないのとかねぇ、、。そんなことも言ってた。
そのころの自分は、がんばって人一倍研究とか勉強してた、
って思ってたし、就職もできたし、っていうんでさ、もうすごい
傲慢こきまくりな謙介だったんだよね。
それから何でもはっきり白黒つけたがる奴だったし。
人の話なんて多分あんまり聞いていなかったんじゃないかなぁ。
俺が、とか、自分は、っていうことばかり言ってたし、、。
その時の自分を今振り返ってみたら、
若いというか、青いというのか。(笑)
自分は何だってできちゃう、とかって、どうしてだか
何も裏づけのないくせに
変な自信だけは持っててさ。
でもまぁ
就職は決まってたけど、どこに配属されるのかは未定で。
それが決まったのが、3月の28日。
決まった先が海の真ん中の離れ小島だよ。
にぎやかな都会の真ん中から、波路はるかな離れた島。
ギャップはなんていうものじゃなくて、
とうとう3年目には心を病んでしまって、しばらく病院通い。
増上慢のながーく伸びた鼻をペシって折られた、っていうことも
あった、って思う。
のんびりした島での生活って、心が癒されるでしょう、、って
島に住んでるときもいっぱい言われ続けたけど、それは人に
よりけりなんじゃないかな。
俺の場合は、都会から、いきなり島っていう
ジェットコースターみたいな状況変化についていけなかった、、。
それから上司とは全然うまくいかなかったし、相談相手はいないし、、。
頼るのは自分自身なんだけど、元々裏付けのない
自信しかなかった奴の
自我なんて一瞬のうちに雲散霧消してしまって、3年間いた
島の生活で、俺はうつ病になってしまった。
それからいろいろな経験をした。
なぜかいつも対人関係の調整係っていうような担当がまわってきて
自分の言い方もそうだけど、人の考え方、別の人との
考えをどう調整したら
いいのか、いつも頭を悩ませた。うまくいかないことは数知れず。
というのか、自分の人生でうまくいったことって、ホント片手で
数えられるくらいしかない。
20代の自分が思い描いていた方向とは全く思いもしなかった方向に
転がっていったり、思っていたことはさっぱりできなかったり、、。
もう一体自分は何をしてるんだろう、とか
何がしたいんだろう、、。とか 自問自答というか煩悶するばかりで、、。
いつもため息。
そうこうしてるうちに、今度は肝臓に病気が見つかって、
さらに自分の行く先っていうのを方向転換しなければ
ならなくなってしまった。
20代のころの、こう行くだろう、という予想はことごとく外れて
気がついたら、こんな曠野の真ん中に立ち尽くしているような
自分がいることに気づく。
どこへ行くんでしょうね? と自分に問うてみても「さぁ、、。」という返事しか
湧いてこない。どこに行きたいんでしょうね? やっぱり「さぁ、、。」
という心もとない返事。
立ちつくしている自分。
でも、悪いことばかりでもない。
人の気持ちとか、心の痛みとかだって共感を持って自分の中に
入ってくるようになった。
若いときは白黒つけることを言っていたけど、
それが果たしていいことなのかどうか? さまざまな人の人生を
見たり経験したりしていくうちに
疑問に思うようにもなった。
だってたしかに正論なことでも人間って必ずしもそうしたくない、なんてこと
ざらにあるもん。
身体の調子を整えるのにはダイエットして太っていないほうがいい。
だけどつい食べてしまう人、なんてざらでしょうに?
だから正しいから、と言ってしまって、そうじゃないものを切り捨てるとか
バカにする、っていうの、俺はできなくなった。
いいじゃないか、って思ってしまう。
だって人間ってそういう弱いものだしさ。
病気になって、そんな人の弱いところを「そうだよね」って、
共感して見られるようになってきた。
だからまぁいつか、そのうち、、。」という先送りの術と
「何とかなるんじゃない。」っていういい加減さと、「仕方がないよね、、。」
っていう間口の広さとを知った。
若いうちは、そんなのはダメ、とか許せない、なんて
簡単に切ってしまえるようなことが、別の見方をすれば、そういうことだって
いえるよね、、、。っていうことだって見えてくるように思えるようになってきた。
それを若い人は、妥協というかもしれない。狡猾というかもしれない。
いい加減というかもしれない。 けどね、いろいろな経験をしてくると、
そういうことだって方法としてあるんだ、っていうことだって分かってくるしね。
状況とか結果としてそういう選択をしなくちゃなんない、っていうときもあるものね。
20代のころだったら、こんな考え方なんかしなかったなぁ、、。
自分の考え方がすべてで、相容れないのは、相手が悪い、とかさ。(笑)
ずいぶん変わってきたんだな、って思う。
俺の中で、そんな自分の考えの確認をするのが、2月26日なんだ。
月曜日、仕事を終えて病院に行く。
待合いで待ってると、以前入院の時に同室だった○○さんと偶然会う。
「いやあ、お久しぶりですね。」
病人同士で「お元気ですか?」はしゃれになんないけど、それでも近況を
話し合う。
「前にホラ、我々と一緒だった△△のおじいさん。」
「ええ。」
「去年の暮れに、骨に転移して亡くなったんよ。」と○○さんは教えてくれた。
「そう、、でしたか。」
「骨に転移したら、それはそれは痛いし、最後が悲惨でなぁ、、。」
そうなのだ。骨に転移したがんは激痛が伴う(らしい)
前に病室で一緒だった別の人は、骨の転移のがんで
毎晩うめき声をあげていた。
そういうと、最近では、痛みに対するペインコントロールが
あるんじゃないか?
って言われるかもしれないけど、はっきり言って、
あれは机上の空論でしかない、って思う。
モルヒネとかほかの鎮痛剤使ってたって、やっぱりベッドで
七転八倒するし、痛みがだんだんきつくなるから、その傾向に
合わせて鎮痛剤もきついの使うでしょ、そうなったら今度は
意識ももうろうとしてくるんだ。訳が分からなくなってきちゃうの。
元気で健康な人は、尊厳ある死とか、最後まで意識があって、、
なんて言うけど、痛さで一晩中うめいている自分になってみたら、
それも治る見込みがない、っていう先のことも考えるようになったら、、
果たしてその時、自分の考えがそんな元気だったときの
自分の考えと同じでいられるか? っていうと、果たしてどうかねぇ、、。
俺、正直、自信がないよ。
お医者さんに「もう痛くて痛くて仕方ないから、いっそ死にたい。
殺してくれ!」って、夜中にベッドで叫んでたおじいさんだっているんだよ。
俺、そんな声をカーテンのこちら側で夜中に聞いてたの。
ね。だからペインコントロールしますから最期まで尊厳ある生き方ができます、
なんて言ってる大学病院とか大きな病院だって、実際の
病棟に行けば、現実なんてそんなものなんだよ。
お医者さんは所詮自分は病気じゃないもん。
どこかで他人事、って思ってると思うよ。とどのつまり人の苦しみって
やっぱり本人にしかわかんない、って思う。
たしかに最期まで意識があって、痛みはなくて、、、って、
そうあっては欲しいけど、現実は、痛くて痛くて、、
そんな最期まで自分らしく生きる、なんて考えていられないくらい、
つらい。
俺、今まで病室でそんな人を何人か見てきて、そう思う。
若い人っていうのは、まぁ大体が元気だし(笑)
そういうつらい経験っていうのが、自分の経験の中にないからね、、。
気分だってすっきり割り切れて、はっきりしたことだって言える。
そのことは間違いではない。いやむしろそれは正しい。
だけど、それが果たして個々の人にとって本当に気持ちに添ったものか
どうか、って言えば、
俺は、正しいことではあるけど、自分はちょっとなぁ、、、って思う。
年齢を経る、ということは、そんな思いもよらなかったことを実際に
経験していく、ということでもある。
そんな経験を通して、再び自分の中で、若かったときに考えていたことを
引っ張り出してきてみると、全然別の答えが導き出されたりするものなんだ。
「ほんなら。」とその○○さんは言った。
「じゃあ、また。」と言おうとして、俺はちょっと言いよどんだ。
じゃあ、また、なんて病院で会ったら、いけないんじゃないかしらん。(笑)
「少しでも体調が安定した日が続いたらいいですね。」
「そう願とんや。」と○○さんも言った。
そう言って診察の終わった○○さんは、中央処置室のほうに降りていったのだった。
(今日聴いた音楽 街路樹は知っていた アリス 歌
アルバム アリスVI 1978年から )
「くらしのこと」カテゴリの記事
- 腕時計(2011.07.11)
- 筋トレ評論家にでもなれってか。(2009.08.17)
- イミダゾール・ジ・ペプチドの摂取について(2009.08.03)
- ホテル仕様のタオル(2009.03.19)
Comments
こんにちは。
そうそう、と頷くところ、たくさんありました。
これまでもお邪魔していて、
謙介さんがいろんな物事に向き合ってこられた様子、
いつも関心をもって見ています。
また、お話聞きに来ますね。
Posted by: rhino | 07. 02. 28 AM 12:53
-----rhinoさん
あ、見つけてくださいましたね。(笑) どうもありがとうございます。
20代の頃、思い描いていたこと、今、思っていること。 人間って
たしかに変わらない部分もあるのですが、状況の変化とか、
経験を積むことで、どんどん考えが変わっていくことだって
ありますよね。気がついたら、船の航跡みたいに、ああ
自分もこんなふうになってたか、、とか。 そんな確認の日が
俺にとっての2月26日のような気がしています。
テキストばっかりで読みづらいサイトですが、こちらこそ
よろしくお願いします。
Posted by: 謙介 | 07. 02. 28 PM 1:48