国文学科なら、もうばっちりさ。
昨日の人の話、もうひとつ。
最近よく話題にのぼる右脳と左脳の話もした。
本屋さんとかパソコンショップに行ったら
やれ脳トレーニングだの、
そのためのソフトだのって売ってるよね。
その人の言うには、
大人になると左の脳ばっかり使って
右の脳は使わないから、バランスが悪くなるという。
で、もっとすごいのは、30過ぎてそういう右脳の
鍛錬をしておかないと、将来的には脳年齢に大きな
差が出るらしい、んだと。
あれま。それは困ったね。
「左の脳っていうのの役割は何?」と俺が訊く。
「言語処理の脳だってさ。」
「で、右は? 」
「空間認識とか、運動記憶とか、ああ、空間認識、ってあるから
芸術なんかも入るよね。」
「ふーん。でも、何か本屋さんとか行ったら、もう山のように売ってるよね。
右脳ドリルとか、脳トレの本とか。」
「そうそう。」
「でもさ、それで言うんだったらさ、国文学科なんかバランスの取れた
脳トレを日々実践してるぞ、もうばっちりさ。」と俺は言った。
「どうしてよ。」
「だってさ、元々言語処理というのか、大体が国文なんて
言語学に日本語学、っていうような
学問するでしょ。で、えーっとこれがどっちだっけ? 」
「左よ左。」
「で、書道なんかすると、これはもう空間認識以外の何物でもないような
お芸術でしょ。」
「おげいじゅつ、、(笑)」
「だけど、右脳は使ってる、よね。」
「まぁそうか。」
「なら、日々右は使う、左は鍛える、で、しっかりバランスの取れた脳の鍛え方に
なってるじゃない? ほーら。」
「そう、、やね。」
「だから、国文学科なんか、もうばっちりさ。 脳の鍛錬の最先端だぜ。わーははは。」
という話になったんだけど。
でもまぁ脳トレなんて、俺は懐疑的。
そこいら中でわぁわぁ言ってるけど、老人介護のケアマネの人に聞いたら、
専門家の学会なんかで認証されてるわけじゃないし、その人の出合ったお年寄りを
見ていると、学校のセンセイだった人って、案外認知症の進んだ人が多い
っていうしさ。
脳トレは言ったら、まだ単なる仮説にしか過ぎないわけだけど、
ケアマネの人の経験談は、紛れもない事実だしねぇ、、。
だって何十年とさまざまなお年寄りの方を見てきて
それでものを言ってるわけだからさ。
俺は、やっぱりどっかのセンセイの仮説なんかよりも
老人介護にずっとかかわってきた人の経験談の方を信用するけどね。
だから、俺はよ、ちゃんと脳トレを信じてやってる人は
それで構わないのはもちろんだけど、俺としては、脳トレは懐疑的に
ならざるを得ないんだよね。
だけど、俺なんか病院で同じ部屋の人が亡くなったりしてる
ところを何度も見てきてるとさ、
果たして最期まで意識があってクリアな判断ができたほうがいいのか、
何だかよくわかんない状態になったほうがいいのか、
一概に言えないような気もするんだ。
最期まではっきりとクリアな意識なんだけど、だんだんできることの範囲が
狭まっていって、身体にいろんなチューブだの管だのを差し込まれたのを
見ながら、死に至る、っていうの、、みんなだったらどう?
っていうふうに自分のことになったりすると、俺やっぱりいろいろ考えて
しまうなぁ、、。
あ、、脳トレの話が、ターミナルな問題になってしまったけど、
まぁね、先のことは分からない、で、保留、っていうのが
一番賢明な取りあえずの結論、かもしれない、ね。(笑)
(今日聴いた音楽・か? 恋飛脚大和往来 封印切の場
初代 中村雁治郎 初代 中村魁車 四代目 中村福助 ほか
録音日時は不明 恋飛脚って、封印切の場だけがなんだか有名
だよね。)
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Comments
脳トレのブーム、続いてますね。でも、DSなんて小さな画面を凝視したてたら、眼や肩に悪いやろと思いますが。
それよりは、散歩して木々を眺めたり、店の看板を見たり、すれ違う人の服装に関心を持ったりした方が、よっぽど脳の刺激になるはずです。
話題は変わって、恋飛脚は確かに封印切りの上演が多いですね。私は新口村が好きなんですが、今の歌舞伎界では孫右衛門のやれる人が思い浮かびませんね。文楽なら住大夫に語ってもらって、人形は文吾で観たいと思います。
Posted by: yasu | 07. 02. 25 AM 12:13
痴呆症とか、年を重ねた人達が、いろいろとゆっくりペースになるのは、
あの世に行くための一つの過程で、
この世に未練をのこさないために、いろんな事忘れていくってスピリチュアルな考え方で行くとそうなんだそうです。。。
しかし多いですよね、最近、鍛えないと駄目なように
商品とか本のキャッチコピーに使われてます。笑。
う〜ん、無理に右だの左だのってやらなくてもいいような気が僕はしてます。
面白いお話でした。(^-^)
Posted by: holly | 07. 02. 25 AM 10:31
----yasuくん
なんかブームですね。脳トレ。
だけど、まだ十分な検証はできていないようですから
何でもそうですけど、過信しすぎるのではなくて
まぁ、ゲームというかお遊びの延長、くらいで
気楽に思ってやってたらいいんじゃないか、って
思います。あんまりのめりこまないほうが
いいですよ。(笑)
そうなんです。今の歌舞伎で、となったら、
封印切、いないように思うんです。
前に歌舞伎のセンセイに、「どうして恋飛脚、、全幕
せえへんのです? 」と聞いたら
「長くてタルい部分があんねん。」というお答えでした。(笑)
それでも何年か前に、全幕やったと思うのです。
そのときにそういえば「画期的」なんて
言われてましたもの。
Posted by: 謙介 | 07. 02. 25 AM 11:56
-----hollyくん
hollyくんもお書きですけど、俺も
自然に任す、というのも一つの生き方の方法のような
気もするんです。最期まで、精一杯、という生き方も
あってはいいと思いますが、俺、がんセンターで
いろいろな人の最期見てきて、果たしてそれが
いいのかどうか、わかんなくなりました。
知らないで済むことは、もういいんじゃない?とか
思ったり、、。若いときだと、最期までしっかり・はっきり、
って思うかもしれないけど、だんだん面倒くさくなって
きたりするんです。そういうことだってあるし、、。
だから、ホント最期の迎え方、というのは、人それぞれの
考え方に任されている、ということですよね。
Posted by: 謙介 | 07. 02. 25 PM 12:01