エイトネン
時々グーグルの検索エンジンに自分の名前を
入れてみているのだけど、昨日久しぶりに試してみたら
意外なことが。
俺が以前書いてあるところに寄稿した文章が、
三田の某学校を一昨年卒業したなんとかクンの
卒論の参考資料に使われていることが判明。
そのことを同僚に言ったら、「お礼に菓子折くらい
もってこんかい、くらいのこと言えへんの?」だって。(笑)
うーん。俺がそこに寄稿した段階で、著作権は移動
しているので、俺は何とも言えないと思う。
そういえば、卒論の提出があったり
後期試験に入る時期だよね。
俺の行った大学の、それも国文科なんて、
ずいぶんいろんなところを回り道をして大学に
やってきた人が結構いた。
高校を卒業してそのまま大学にきた、っていうのは、50人の
クラスのうちで30人程度。
で、後の20人はいろいろな年齢の人たちだった。
別の大学に行って、そこを中退か、卒業するかして、
それからまたここに来た人。そんな人や働いていたけど
やっぱり文学がしたいから、っていうことで来た人。
うちのクラスにはそんな連中が結構いた。
新入生オリエンテーションで仲良くなったYなんて、
大学に来る前はずっと日雇いで働いてた、って。
彼なんか最初会った日の晩、俺に大阪の桜ノ宮にあるラブホで
一番どこがいいか、という論評を延々と聞かせてくれた。
何がやりたいの? って聞いたら、「太宰。」って言ってた。
そうそう。それから、そのとき付き合ってた女の子のどういうところが
いいのか、ということをこまかく話してくれたりもした。
セックスの相性も大切やねんで、と二人で身体を重ねたときの
話も。
ただ文学が好き、なんていう程度の理由で国文科に来た
俺みたいなのより、そうした奴等はいろいろな経験を
してきた分、話をしてみると、人生について、深いところが見えていた
と思ったし、その深いところにあるものを識っていたように思える。
それから、授業で出たいろいろな課題の参考資料探しに、
国文科の共同研究室にしょっちゅう出入りするようになって
そこに来るいろいろな人たちと知り合いになると、
今度はそのうえに留年している人たちも結構多い、ということが
分かってきた。
普通留年するような奴って、
あんまり学校に出てこないと思うのだけど、
不思議なことに留年していながら、毎日のように学校に来て
この共同研究室にやってくる人が多くいた。
ただ、そういう人って、学校には来るのだけど、出なくちゃなんないはずの
必修の授業に出なかった。授業に行かないの。ずーっと研究室で
ずっと本を読んだり、やってきた誰かをつかまえては
議論をふっかけたりしていた。
ある時「△△さん、次フランス語の授業と違いますか? 」と言ったら、
「やかまし。」と言ってヘッドロックされてしまった。(笑)
中で一番の象徴だったのがOさん。当時7回生だった。
単位はほとんど取れていたのに必修のフランス語が
1単位残っていて、それがためにどうしても卒業できない
らしかった。
俺たちはOさんのためにエイトネンという歌を歌った。
まぁ替え歌なんだけど。こんなの。
エイト エイト エイト エイト エイト
エイト エイト エイト エイト エイト
落ちる試験 落ちる追試 落とす単位
行こう無敵の8年間
すすめエイトネン 誰よりも長く
往け 胸を張れ 居直りの胸を
っていうの。本歌は大昔のアニメ「エイトマン」の主題歌
なんだけどさ。
そのOさんは共同研究室によくいった俺なんかにも
しょっちゅう議論をふっかけてきた。そんなこんなしている
うちにいつか俺はOさんと仲良くなっていた。
一緒に京都市内の古本屋もまわったし、俺の家に泊まりに
来ることもあった。
Oさんは、結局俺たちの学年と一緒に卒業、ということになって
7回生で卒業した。卒業の時、「ほなまた。」と言って別れた。
それっきりずっと消息は分からなかった。
今はOさんは卒業して兵庫の田舎に住んでいる、とのこと。
去年の春に会った大学の時の友達が、そんなOさんの
消息を聞かせてくれた。
Oさんが別れ際に言った「ほな、また。」は今も俺の耳に残っている。
後期試験と聞いて、そんな懐かしい人のことを、今日は思い出した。
(今日聴いた音楽 トロイメライ 演奏 ウラディミール・ホロビッツ 1962年 録音
ホロビッツの演奏が一番完成度が高かった60年代の録音盤。)
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