病気は売り物なの?
今日、昼休みに映画のブログを見ていました。
そうしたら、ある難病を映画の主題にした作品のブログで
あきれるようなのがあった。
あんまりあきれたので、ちょっとここに書いておきたい。
「みんなで泣こう 2万人」なんとかかんとか。
あきれた。
ものが言えない。
難病の子の映画を見て、泣く人を増やしたい、
だって。
それを読んで思わず「○○か、こいつら。」と思った。
自殺とか事件で、命を絶って、お葬式があって、友達とか
まわりの人が泣いてるのテレビの報道番組で見るけど、
俺、そこで泣いてる奴なんて信用しない。
誰のために泣いているんだろう?
その人のために泣いているんだろうか?
そりゃあ、亡くなったことがショックだから、なんて言う人もいるよ。
でも誰にとってのショックなの?
って、意地悪な質問かな?
泣いてほしくなんかない。
憐れんでほしくなんかない。
ただ普通に接して欲しいだけだもの。
お葬式の席なんかで
泣いてる奴なんか、しばらく経ったらケロッとした顔してる奴多いもん。
本当に悲しみの極限って、涙さえ出てこない、っていうことだってあるし
全然正反対でちっとも悲しそうな顔なんかしていなかったりする。
あまりに悲しみが大きかったら、悲しみを必死こらえて精神的なバランス
をとろうとする。
そんな人の気持ちを、感情の動きを忖度することもなしに、
十羽ひとくくりで
映画を見て、どうだ、感動するだろう? え、ホラ、感動しただろ?
泣けた? 泣いただろう。どうだどうだ、っていうのが、
最初から広告の意図であるなんて、
しかもそれを人間の生き死にと結びつけているなんて
だから、俺、この映画の広告、
見てて○○か、って思った。
許せない、と思った。
今日は月曜日。
仕事を終えてから、がんセンターに行く。
主治医と話をする。
「がん細胞、あんまり悪さはしていないようではあるけど、
今後動きだすようであれば、また治療方法を検討しないと
いけないですね。」と、主治医。
「今のところは落ち着いているんですね。」俺の確認。
「今のところはね。 この状態が持ってくれたらいいんですけどね。
今日は、今の状態がどの程度なのか、さらに詳しい検査で
状況を見てみましょう ということになる。
希望は持ちにくいけど、
自分の中で、考えた方向に沿って
これからもやっていこう、と帰りの車の中で思った。
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Comments
はじめまして。
お病気を抱えて大変だと思います。
心中お察し申し上げます。
しかしながら、映画はともかく、お葬式で涙がこぼれてしまうのは、自然な感情だと思うんですよね。やはり自分が比較的近い関係だった人がこの世からいなくなってしまうのは、寂しいことだしいたたまれない感情を抱く。おっしゃるとおり、そこにはある一定の距離感があり、たとえば喪主のような非常に近しい関係の人は毅然としていたりすることが多いです。でも、涙を流してしまう人の感情はそれはそれでどうしようもないものだと思います。
映画における病気の描写については、ひたすら「憐憫」を売り物にしているものについては、僕も閉口します。ただ、難しい病気との接し方のロールモデルを提示している例もあって、「病気を描いたから、病気を食い物にしている」ともいえないと思います。結局は、作者の人間性の問題なんじゃないでしょうか。
宣伝については、配給会社は売れないことには食えないので、どうしても大げさな文句が多くて、すぐに全米が泣きます。それは、一定の部分差し引いて考えてあげる必要がある。本当にいい映画ならば、宣伝文句につられて見に行く人が多いほうがいいわけですから。
Posted by: さとし | 06. 11. 07 AM 4:02
こんにちは。 それから はじめまして。
お話くださったこと、おっしゃること、よく分かります。
もちろん、そのいなくなってしまった方に対する感情には
個人差が大きい、ということもありますよね。
だから、悲しみの表現について、ただ泣くことでしか
表すことができない、っていうこともあろうかと思います。
悲しみも、話を聞いて、即刻わき上がる悲しみも
あれば、時間が経ってから おこるやり場のない悲しみという
のもあるでしょうね。
だから悲しみの感情の表出に、泣く ということが
あるのは、お話のようにあっていい、と思います。
ただ、俺が話したかったのは、泣くことでもって
そのいなくなってしまった人への気持ちを
代表して表現させてしまっていいものか、っていう
ことです。どうしようもない喪失感・無力感
事実を知ったときの驚き・絶望・怒り やりきれなさ
またそんな気持ちから今度は自分の中での
心の安定を得ようとするためのはたらき。
悲しみ、と言っても、いろいろな感情がそこには
複雑にあるように思うのです。
それをお話したかった、ということです。
映画とかコマーシャルの「惹句」 いろいろとありますよね。
俺もさとしさんのお話のとおりだと思います。
お話のように本当に胸を打つものであれば、
静かに人から人へ伝えられていくでしょうね。
文学でも、「古典」と呼ばれる作品が今もなお
人に読まれ続けられている(そこまで言うとちょっと
大げさかもしれませんけど 笑) 似たものが
流れの中にあるように思います。
Posted by: 謙介 | 06. 11. 07 AM 10:41