「自分探し」とか、、
俺ね、26くらいのとき、いろいろなことで行き詰ってしまったことがあったの。
何かね、仕事をしてたら、突然異常に緊張してみたり
手足の先がものすごく冷えてきたり
恐怖感がやってきたり、人と普通に話ができなくなったりしはじめて。
こんな状態、実は20歳から21の頃にも一度あったから、「あ、まただ。こんな状態。」
ってそのとき俺は思った。
で、まぁ心療内科に行って薬をもらったこともあったりしたんだけど。
その時に、同僚でね、大学の時に心理学やってた人がいてね。
その人がカウンセリングの先生を紹介してくれたの。
それでその先生のところに行って、カウンセリングは受けなかったんだけど
「どういうふうにしたら、多少はましになりますかね。」って俺聞いてみた。
そうしたら、どういう場面で緊張しますか?
誰に緊張しますか?
緊張しない人はどういう人でしょう? ちょっと謙介さんの周囲の人で
緊張するような人、嫌だなと思う人、場面を書いてみたらいかがでしょう。
というお話をいただいた。
で、帰って自分の周囲の人で、この人は緊張するなぁ、とかこの人は平気、
っていうのを少しずつ書いていったんだ。
そうしたら、自分が緊張する相手のタイプっていうのがあって。
まぁ苦手なタイプっていうんですかね。そういうのがなんとなく見えてきたの。
で、その先生は忙しい人だったので、同僚の人に、ここまでやってみたんだけどね。
という話をした。
そうしたら、今度は小さいときからのことで、特に印象に残っていることとか、
嫌だった経験、悲しかった経験、気分が悪かったこと、言われて腹のたったこと。
逆に楽しかったこと、うれしくてしようがなかったこと、アトランダムでいいから
ノートに書いていったら?
ということになった。そりゃあね、うれしかったことなんてすぐに書けるのよ。
でも辛かったこと、悲しかったことってなかなか書けないの。
そうしてたら、その同僚、追い討ちをかけるように言いました。
うそをついたこと、ごまかしをしたことも書いてね。
で、思いつくままに少しずつ書いていきましたよ。
こんなこともあった、あんなこともあった、って。
そのとき書きながら、今思い出しても腹が立つこととか、
書いてる途中で、それ以上書けなくなって、再び書き始めるまでに
ずいぶんの日数がかかった。
両親のこととか、家族との記憶とかでそういう感情の入ったことが
あったら、それを書いて、友達とか周囲の人とのことも書いて、、。
そう、全部書くの、1年くらいかかった。
で、書いたよ、っていったら、今度はそれを古い順に並べてみて、
という。要するにまぁ自分のサイドからの発達史をつくってみた、ということ。
そこまで行くとね、今度はだんだん自分っていうのが
おぼろげに見えてきたんだ。
どういうときに緊張するのか? は、小さいときにこういうことをしたときに
緊張した、と。その緊張感と今の仕事の緊張は一緒かどうか
そういう分析をしながら自分を見ていった。
それでまた1年。
で、ああ、自分ってこういうときに緊張したり、嫌な感情が湧くんだけど
それは小さいときのこういうような原因なのかもしれないな、
こういう言われ方とか、経験をしたせいなのかな、って
いうことがすこしずつ分かってきた。
で、2年半ぶりにそのカウンセリングの先生に会って、俺こういうふうに
見て行って、自分の経験を書いて行って、今の心の状態を説明して
多分自分に影響を与えた大きな部分は、こういうことじゃないかなぁ、
って思います、って言ったの。
そうしたら、先生がしんどかったでしょう、と言ってくれて。
俺、泣いてしまった。
もうひとりの自分、とかいう言葉をときたま聞くんだけど、
自分を見つめる、ってものすごくしんどいことだよ。
日ごろ抑えて隠している自分の醜い部分とか汚い部分を
わざわざ取り出してきて、何でこうなっているのか?
っていうことを見ていかないといけないもん。
カウンセリングの先生は「地獄の釜のふたを開けた」って
表現したけど、本当にそうだった。ドロドロとして煮えたぎって
いる訳の分からない自分っていう存在を引きずり出してきて
それと向きあわなければならない。
どうしても俺はそこまでしても自分ってどういうものなのか
覚悟を決めてみてみたい、と、根性を決めてかからないと
いけないこと。
覚悟のほどは如何に。
で、その自分が分かってどうなるか?
どうにもならない。 変化は大してしない。
やっぱり緊張する側面では緊張する。
ただね、少し違ったな、って思うのは、こういう相手っぽいから
俺は緊張してるんで、まぁよくあることだね、って自己暗示程度は
かけられるようになったことくらい。
多分ね、自分探しをしてもうひとりの自分が見つかったら、
全てのことが劇的に変化するだろうと思ってたんだけど、、。
カウンセリングの先生に聞いたら、
(謙介の場合は)「そんなものですよ。」 って。
ただ、そのおかげで、それから後、確かに自分っていうものに対する
見方、っていうのは変わったかな、って思うけどね。
ただ、この経験はあくまで「謙介」のだからね。
内面を見るなんて個人差が大きいことだから、
謙介はこうした、っていうことがあっても、他のまた別のスタイル
とか方法だってあるのは言うまでもないこと。
その点を、ちゃんと話とかなきゃね。
はてさて。いつもにも増して本日は
長々とお付き合いいただき、 多謝。
(今日聴いた音楽 最近的距離 歌 陳 暁東 アルバム 比我幸福
2000年発表から 音源は台湾版CDから)
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