病気とのつきあい
昨日 仕事帰りにがんセンターに寄る。
こないだから、今までと違う薬が処方されたので、
その状況を知らせてと 主治医から言われていたので
その報告に行く。
薬を飲んで、ぼぉっとすることはあるのだけど、
まぁそれは想定内の副作用らしく
じゃあ、しばらく続けて服用してください、
ということになる。
診察後少し雑談。
(俺がその日最後の患者だったこともあって時間があった。)
話は、当然、という感じで
今、こちらで大問題になっている腎臓の移植のことになる。
臓器移植もいろいろあって、一番簡単な「臓器移植」だと
結構大勢の人がやっているんだよ、とのこと。
「献血」。
あれも臓器移植なんだそう。
今の医学では病気になって機能が喪われてしまった
臓器を再生することはできないそうなので、
移植、という方法が最終的に残された方法になる、という話。
特に腎臓はよく移植の問題になると出てくる内臓だそうな。
腎臓病になると本当に大変だと思う。
血液の濾過装置が壊れて機能が果たせなくなる。
腎臓病にかかると、週に3回くらい
病院に行って人工透析を受けなければならない。
腎臓でやってる濾過を、機械で代行する。
1回の透析に3時間から4時間。
これを週に3回。
聞いているだけでもしんどいなぁ、と思う。
俺が病気のことを最初に診てもらった大学病院の先生から
告げられたときは、やっぱり目の前が真っ暗になったような
気がした。
今の医学では完治は難しい、と言われたけど
何%かは治る見込みがあるからね、って。
何%くらいですか? と聞くと
そうだねぇ。15%くらい、といわれた。
それから3回
違う治療法を試してみた。
8月の末までやっていた治療も、ついこのあいだ、結局効果が
なかったとことが、検査の結果ではっきりした。
このあいだ友達と話をした。
その友達も病気を抱えている。
「結局、焦らず気長に病気とつきあっていく、しか方法はないよね。」って
彼が言った。
治そう、たたいてしまおう、ってしゃかりきになるんじゃなくて、
病気とうまくつき合いながら、過ごしていく、という方法。
このほうが無理がないよね、とお互い話をした。
大学のときに中世文学講読の授業で「徒然草」を読んだ。
兼好さんは、友達の要件の中で「病気の友」ということを
書いてあった。 その時は字面だけの理解だったけど、
こうして病気とともに歩くようになって、
その気持ちが痛いほどよく分かる。
この先、自分の身体の中で病気がどう変化するのかは
よく分からない。 だけど、病気を力でねじ伏せてしまうのではなくて
自然にゆるゆると病気と向き合って過ごしていけたらいいなぁ
と昨日は車の中でもう一度思ったことだった。
(今日聴いた音楽 渡辺はま子 蘇州夜曲 1985年の復刻盤から)
「日々のおもい」カテゴリの記事
- 関係性の変化について(2011.05.19)
- 数字のトリック(2008.09.08)
- ペンギンもなかとロケットうどん(2008.02.04)
- 顔について(2007.04.25)
Comments